第4章 初恋コレクタ

 初めて、好きになった。
 初めて、それが大切。
 始めて、愛した。
 初めて、それが綺麗だった。
 初めて、恋をした。
 初めて、狂おしい一滴が瞳を潤す。
 初めて、狂ってしまう。
 初めて、それだけが純粋。
 初めて、繰り返しては汚れてしまう。
 初めて、それだけで全て。
 初めて、終わり。
 初めて、すべてを集めましょう。










 1

 そこには一冊のファイルがある。
 部屋の主はもう居ないのに、部屋の隅に、まるで見つけて読んでくださいといわんばかりに、そのファイルは置かれている。青いプラスティックのカバー。三センチほどの厚み。背表紙にも表紙にも何も書かれてはない。
 それは記録。
 ある女の子が記録した私記。
 表紙をめくって一ページ目にはタイトルらしき言葉が書かれていた。
「初恋」
 そして二ページ目には、概要らしきものが書かれていた。
「恋がしたい。恋人が欲しい。愛されたい。愛したい。恋愛に対して様々な願望を口にしても、実際に恋愛を経験する人は極一部。恋愛映画が好きでも、その当事者になれるのは一部の人間。あとはただの傍観者。恋愛プレーヤになれるのは、努力と運命に選ばれた人だけ。あとは他人の恋愛を眺めては、批評するだけの評論家。私は、後者。大多数の群れの一人。だけど、私は自分から望んで傍観者になることを選んだ。私は蒐集家。他人の様々な恋愛、特に初恋を集めるのが、大好き。今まで沢山の初恋を集めてきたけど、どれ一つ、平凡なものはない。だから惹かれる。」
 そして、隣のページに二行。
『狂ったような初恋の数々。
ここには、少し変わった初恋あります。』
ページを捲る。





 2



 ファイルナンバ・1
 カナコ(仮名)は、五歳の時に、同い年のナオキ君という男の子が好きになりました。けど、そのナオキ君は、いつもカナコに意地悪をするのです。
 幼稚園を卒園して、小学校にあがる頃にナオキ君は引っ越してしまいました。そこでカナコの初恋も終わってしまうはずだったのですが、ずっとナオキ君の事が好きでした。
 十年後。中学生になったカナコは、ナオキ君と再会しました。でも、カナコは成長したナオキ君には、一瞥の興味すらありませんでした。それは、成長したナオキ君は、カナコが好きなナオキ君ではないのだから。
 カナコがずっと恋していたのは、五歳のナオキ君なのです。
 カナコは探しました。五歳のナオキ君を、探していました。小さな子供集まる場所、遊んでいる場所を巡っては、五歳のナオキ君と『同じ姿』の子供を探しました。
何度か五歳のナオキ君に近い子供を見つけては、声をかけて、付合ってみたりしましたが、長くは続きません。十歳近く歳が離れているからではなくて、その子がナオキ君ではないからです。
 カナコは探しました。ナオキ君を探しました。
 カナコの初恋が続くかがり、彼女はきっと五歳のナオキ君を探す。彼女がどんなに歳を重ねても、幼い初恋の火を熾した少年と、同じ姿を求めるでしょう、



 ファイルナンバ・2
 ナミ(仮名)は、小学生の頃、ある疑問を持った。
「どうして、男の子とと女の子の身体は違うの?」
 自分に男性器が無い事が不思議でした。
 そのころ、両親は彼女に、
「ちょんとした大人になるのよ」
 そう言い聞かせ、躾けていました。そして、両親にそう叱られる度にナミは思いました。自分にはあるべきものがない、と。ちゃんとした身体をしていないから、ちゃんとした大人になれないから、パパとママは怒るのだと。
 ナミの男性器に対する考えはいつしか、それは欠けてしまった物だと思う様になり、だんだん取り戻したい、男性器が欲しくなりました。
 けど、どんなに男性器に似せた物を股に着けても、所詮は偽物。彼女の物でもなければ、彼女が思う無くした物ではありません。だから、ナミがどんなに望んでも、どんなにがばっても、女の子のナミには男性器を取り戻せません。失敗を繰り返すうちに、ナミは怖くなりました。
 知らないうちに、分からず自分の身体が傷つけれた。
 なくなった物を取り戻さないと、ちゃんとした大人になれない。このままだと、パパとママに嫌われる。
 それが怖くてもナミは、夜な夜なベッドの中で泣いていました。
 その頃、ナミはそんな怖れに泣く度に恋しくなる人が出来たのです。
 それは「男性の自分」
 ナミの初恋は、どこにもいない、自分でした。
 結ばれることは決しありません。
 どんなに男の子のような言葉遣いや振る舞いをしても、空しいだけ。
 どんなに願い祈っても、なんど夢に見ても、「男性の自分」に会えることはありませんでした。
 そしてナミの初恋が終わったのは、彼女が知らないうちに身籠った時。彼女の子宮に男の子が宿り、ちゃんとした大人になれた、と安堵の息を漏らした夜でした。


 ファイルナンバ・3
 サヤ(仮名)の初恋の相手は、愛犬だった。
 サヤが十二歳の誕生日に買ってもらった。一目惚れだった。綺麗な黒と白の毛並みにハスキィ犬。十分躾けを受け、めったに吠えることはなく、命令には従順な賢い犬だった。サヤは、その犬をパラと名付けた。
 パラの世話は、サヤがすべて行った。だが、飼い主とペットという関係は、一ヶ月も続かなかった。サヤは、パラをペットではなく、家族であると同時に恋人のように接していた。
 出来うる限り、一緒に過ごした。一緒にソファに座ってテレビを見たり、部屋で一緒に遊んだり、一緒にベッドに入って眠ったり。それが習慣になると、スキンシップが友好関係を構築するためではなく、愛情表現のように行われるようになった。どちらが切っ掛けを作ったかもう思い出せないが、でも、そうなるように仕向けたのはサヤだった。始めはパラが、サヤの頬を舌で舐めていたが、それが頬から唇、口腔内になり、首筋から鎖骨、乳房から徐々に下半身へと移った。そんなスキンシップを毎晩のように、就寝前のベッドの中で行われていた。
 サヤはそれでも、満足しなかった。それどころか、日に日に「待った」と命令されているように、焦燥感が付きまとっていた。
 ある夜、サヤは何が自分に「待った」と命令しているのか、直感した。
 パラを家族の一員と認めている事の「近親感」と人と犬という「異種」という二つの概念が、恋人になることに対して「禁忌」と待ったを命令した。
 そのことに気付くと、あとは呆気ないものだった。
「禁忌」を破ることの達成感を、予感し、その魅力に従順しただけだった。
 それは性交なのか交尾なのか、その時は、どうでもよかった。
 ただ、その日の夜は、酷く蒸し暑く、たまに部屋に入り込む夜風が気持ちよったと感じたぐらい。
 そして、翌日になるとパラはいなくなってしまった。
 勝手に逃げ出したのか、それとも、誰かに処分されたのか定かではない。


 ファイルナンバ・4
 ヤナギ(仮名)の弟は、彼女が五歳の頃に生まれた。
 自宅出産だった事もあって、弟が生まれる瞬間を見ていた。
 その頃からか、それともそのずっと後からか、それともあの瞬間だったのかは分からないが、ヤナギは、弟に恋をしていた。初恋だった。
 共働きだった両親に代わって。弟の面倒は、ほとんどヤナギが看ていた。そのせいだろうか、弟はヤナギのことを姉よりも、もう一人の母親のように見ていた節がいくつもあった。
 だがヤナギは、弟を「弟」だと信じられなかった。だからと言って「恋人」にしたいとも、自覚していなかったようだ。ただ、気になる。好き、というぐらい。平均的な「姉弟」と変わらない、普通だと思っていた。
 だが、他の兄妹・姉弟の関係を耳にするほど成長すると、自分達はすごく仲が良い「姉弟」なんだと思った。そう思う様に努力した。努力しなければ、と世間の平均概念に脅迫されたようだった。
 だが、そんな努力を或る日突然止めた。中学三年生の頃だった。
 自宅に遊びに来た、最も仲の良い友達との会話で、その友達が言った一言が引き金となった。
「あぁ、キミは知らないのだろう。それは「愛」とも呼ばれ、時に「搾取」と呼ばれるものなのだよ。そして、それを我が身の内に抑制し続ける事を「恋」とも呼ぶ。……キミは弟に恋をしているのだよ。ならば、諦めるか素直になるか、妄念にとりつかれるままか、どちらかだね。恐れる事はなにもない、素直になりなよ」
 芝居かかったキザな人生論を語る男でした。
 それが親友の口から出力されたからなのか。
 たった一言。
 たった一言で、十数年間と閉じ込めていた何かが、あっけなくも溢れた。そしてその何かは、とても熱く、鋭く、暴力的で凶暴な感情だった。理性とは対極的な感情。反転したように、理性を閉じ込めた。
 あとはもう、語るまでもない。
 彼女がいる部屋の隣には、学校から帰った弟が居る。
 それがちょっとした刺激のための悪戯だったのか、それとも人生を投げ打つほど真剣な勝負だったのか、はたまた、妄念と抑圧された劣情に取り付かれた狂愚だったのか………。
 それでヤナギは弟を「弟」と認識できるようになったが、弟を何かを奪ってからだった。


 ファイルナンバ・5
 ササナ(仮名)は、幼い頃に買ってもらった、一体の人形に一目惚れした。
 薄い青色の硝子の瞳。砂金のような長い髪。お伽噺のお姫様のようなドレス。そしてなにより、成長する事も退化することもなく美しいままの姿に、幼いササナは、虜になった。
 それが人でもなければ、生物ですらない、物だったとしても、それはササナにとって間違いなく恋人だった。そして、ササナにとって恋愛対象は「人形」だった。
 愛する物と一緒に居たい。そんな稚拙な欲求は、人形では容易に叶った。
 ササナの部屋には、彼女が十歳になる頃には、百を越える人形が部屋を囲む様に棚に陳列されていた。そして、学校など外出する時など必ず、初恋の人形だけは大切に鞄に入れて持ち歩いていた。
 すべての人形は、漏れなく彼女が愛でた物。彼女の恋人。
 もし相手が人なら、浮気だ、独占欲が強過ぎる、我が侭だ、と恋愛関係は破綻していただろう。だが、相手は人形なのだ。なにも言わない。なにも思わない。そして、拒絶しない。
 ササナの片思いなのかもしれない。だが、彼女は愛でる物に囲まれ、そして増えていくことに、充実感をたしかに感じていた。その充実感が、愛されている、と感じた。
 だが、世にはこんなジンクスがある。
『このボートに乗ったカップルは、別れる』
 これはボートに乗る行為とは関係なく、命題としては真だ。
 すべてのカップル―――恋人達は、死別を含め必ず別れる。
 それは人と人との恋人関係に限った事ではない。ササナの場合にも適応される。
 ササナは、ある日の白昼。恋人達を失った。
 火事があった。
 幸い、ササナは学校に居たため難を免れたが、彼女の部屋に居た何も出来ない恋人達は、炭と灰と化した。
 その光景を目の当たりにしたササナは、唖然とした。きっと、他人には共感しえないほど、悲惨な光景だったのかもしれない。なにせ、彼女のこれまでの半生愛し続けた物達が、焼けこげ、バラバラになり、顔が砕け、綺麗だった瞳が溶けて、あれほど美しさを保っていたのに、今では漏れなく老衰したように醜く爛れてしまっていのだから。彼女が受けた衝撃の痛ましさは想像し難いものだろう。
 そして彼女は、眼前に無惨な姿になった恋人達のために、
 鞄の中から初恋の人形を取り出し、その場で壊した。
 コナゴナに。メチャクチャに。壊した。殺した。
 それでも人形は、拒絶しなかった。



 3

 二、三ページごとに仕切りのようにプラスティック板が挟まれていた。そのプラスティック板には、ファイルナンバが書かれている。それは全部で九枚あった。
 共通しているのは、それらは「初恋」に関する私記であることぐらい。しかし、筆跡は不統一だった。
 まるで一人が書いたのではなく、複数名がグループで書かれているようだった。それが推測できたのは、文末に一行ほどのコメントが添えられていた。それだけは筆跡は同じだった。それがこのファイルの持ち主のものなのかどうかは、定かではない。
 ファイルナンバ・6と7は、英語で書かれていた。しかも、一読して吐き気がするほど猟奇的だった。
 他の話と共通して「初恋」に関する記述だが、その実は異常な性的倒錯に関する記録に思えた。「死体愛」と「奇形愛」だった。その二つは、赤いペンで書かれていた。一部は、黒く変色していた。だから、もしかしたら血液で書かれたのかとさえ考えたが、それにしては書体は細く明確だった。
 当然のように、その二つの文末にはコメントが添えられていた。
 ファイルナンバ・6には、
「死別がなくなれば、それは永遠の恋なのに」
 ファイルナンバ・7には、
「それが嫌い。だから愛しい」
 文末のコメントが、どこか遺書のようだと、なぜか感じた。
 そしてファイルナンバ・8と9は、写真と数枚の手紙が添付されていた。



 4

 ファイルナンバ・8
 ミズミ(仮名)は、高校に進学して、同じ学年の生徒に一目惚れした。
 それまでミズミは、何人か恋人と呼んでいた男性がいた。
 だけど、ミズミが一目惚れした相手は、女性だった。
 初めてのことだった。女友達は何人か居て、好意を抱いていた。だけど、そんな友人に向けられた好意とは違う、好意を、その女生徒に持った。それは恋に近いものだと、感じた。そして、それが恋だと確信するまで一年かかった。それはどうじに、ミズミが、「普通」という概念と葛藤した時間でもあった。
 ミズミは勇気をだして、手紙を書いた。友達になってください、と。翌日、返事があった。相手の女生徒は、友達になってくれた。
 それから数ヶ月、友達として二人は付合った。
 でも、それは我慢の日々だった。それがミズミには苦痛だった。
 ミズミが望んでいる関係は、友達とは違っていた。相手は、ミズミに好意を向けてくれたが、ミズミは愛情を相手に向けていた。その食い違いが、辛く、長くは持たなかった。
 だから、ミズミは告白した。
 愛してます、と。
 返事はなかなか貰えなかった、もしかしたら、それが答えかもと考えた。けど、しばらくして、相手の女生徒から呼び出された。そして、返事を聴かされた。
相手は、はっきりと言わなかったが、口にされた気持ちは、ミズミが彼女に向けているものと近かった。だから二人は、恋人として付合ってみることにした。
 ミズミは、これでやっと恋が実ったと思った。望んでいた関係に成れたのだと喜んだ。それから、ミズミの愛情は徐々に抑制を解く様に露骨になっていった。
 でも、噛み合ない。
 何かが噛み合ない。
 二人は噛み合ない。
 ミズミは、キスをしようとした。拒まれた。それは拒絶の勢いだった。
 気付いた。彼女には、自分とは別に、明確に好きと思う人がいる、と。
 その存在に気付いて、腹が立った。同じぐらい、空しさが差し込んだ。そして、知りたかった、彼女の気持ちが。 彼女の気持ちを知りたくて、
「わたしのこと、好き?」
 と訊いて、彼女が頷くと、
「だったら、……キスして」
 と、彼女を試した。
 でも、試されたのはミズミだった。
 彼女のキスは、唇でも頬でもない、中間の接触。友情でも愛情でもない、好きでも嫌いでもない、揺れ動いて霧散していくような気持ちに似たキス。
 でも、綺麗だと思った。何が綺麗なのか、分からないまま、綺麗だという記号がミズミの頭の中に浮かんだ。
 ミズミは、無理だと思った。わずかな可能性はある。だけど、それは花が咲く前に醜く萎んで朽ちてしまうほど弱々しい希望だった。
 綺麗だと、感じた。
 だから、淡い希望で爛れてしまわないように、その前に終わらせようと思った。
 卒業式の日、ミズミは別れを告げた。
 告げる前はとても辛かった。でも、あとはもう清々しさしか残っていない。
 綺麗だったと思った。
 その記号で、自分の初恋が閉じられたことが、救いだったと思った。
 そして、自分が綺麗だと感じた恋が、好きだった彼女にも訪れることを、口を閉じて静かに祈った。


 ファイルナンバ・9

 ユウ(仮名)の初恋は、既製品だった。
 好きな人がいる。その人が好きで、その人の事を知りたいと思った。だから調べた。色々と訊いて、それを蓄積した。だけど、その人の過去は分かっても、その人の気持ちは分からなかった。
 好きな人は、恋をしていた。
 その人が誰に恋をして、どんな恋をしているのか、どんな気持ちなのか知りたかった。
 だからユウは、その好きな人が恋をしている相手に、恋をしてみた。
 好きな人と同じ体験をすることで、同じ気持ちになれる、共有できる、同一化できると思った。
 再生だ。
 同じ恋いを、別のプレーヤで再生。
 恋愛の物真似。
 だから、似ていても、同じではない。
 媒体も別人。
 再生されれば、劣化する。
 だから、違う。
 それはまったく別のもの。
 それに気付くのに、ひと月ほどかかった。
 それを終わらせるのに、半月程かかった。
 そして初恋が終わるのに、まだかかりそうだ。
 まだ、知らないことが多いから。



 5

 そこでファイルを閉じて、深く溜息を吐いた。
 顔を上げて、部屋を見渡すとすっかり陽が落ちて暗くなっていた。天井に着けられていた照明は、今は抜け殻。残り火のような夕日が、微かに窓から入って辛うじてまだ字は読める。それに暗さにも目が慣れた。
 ファイルナンバ・9まで読んだが、あと数枚ほど読んでいないページがあった。それにもやはり、プラスティックの仕切りが挟まれいた。そして表紙には『ファイルナンバ・0』と赤いマジックで書かれ、その下には、こうも書かれていた。
『わたしは、誰ですか?』
 その一文にどんな意味があるのかすぐには分からなかった。哲学的な問答なのか、それとも謎掛けなのか……。真意は分からなかった。誰が書いたのかも定かではない。ただ、ファイルナンバ・0というのは、もしかしたらこのファイルの持ち主自身について書かれたものなのではないか。そんな期待を持ちながら、ページをめくった。




 ファイルナンバ・0
 告白します。懺悔します。だから教えてください。
 わたし――――羽井ミズキは、誰なのか。

 私は、恋愛に憧れていました。いつからか分からないほど、幼い頃から……きっと、母の胎内にいるころからでしょうか。私は、恋愛に憧れていました。
いえ……、『恋愛』に恋をしていのかもしれません。
 だから、始まりが知りたかったのです。
 どこで、どのように『恋愛』が生まれるのかを。
 初めて、が知りたかった。初めての恋愛に、惹かれてしまった。
 いつか自分も、と妄想の恍惚に浸ることもありました。
 私の初恋はきっと、『初恋』という概念だったのでしょう。
 でも、どんなに好きでも『初めて』は一度きり。だからこそ初めて。二回目は初めてとは言いません。繰り返す事ができないのです。
 一度「初恋」を経験しては、もう初恋はない。
 一度きり。
 それがとても悲しくて、怖かった。
 でも、もし、初恋を何度も経験できる方法があるなら……。
 私の初恋は一度きり。でも初恋は一つではない。
 一人につき一度きりの初恋。
 一人でなければ、初恋も一つではない。
 答えは簡単でした。
 私が一人でなければ、初恋も一度きりではないのです。
 幼い私は、天性の素質でしょうか、私の中に同居人を作ることが出来ました。違う人格が、恋をして、それを記録して、私が好きな『初恋』を蒐集するのです。一人の初恋が終わると、その人格は退場して、新しい初恋が生まれると新しい人格が生まれる。そういうシステムが、いつのまにか出来上がってしまっていたのです。
 カナコという人格は、幼い頃好きだった男の子の形に恋をしました。
 ナミという人格は、決して出逢えない仮定の自分に恋をしました。
 サヤという人格は、人ではない異種に恋をしました。
 ヤナギという人格は、きっと弟に恋をしていたのでしょう。
 ササナという人格は、美しくあり続ける人形だけを愛していました。
 ナユキという人格は、初めて見た死体に恐怖して、その恐怖に恋した。
 キオという人格は、他人とは違うそれを『特別』と思い込み、特別に恋をした。
 ミズミという人格は、憧れの同性に恋をしていました。
 ユウという人格は、ミズミの嫉妬から派生した。未熟な人格だった。
 そして、主人格の私―――ミズキは、いったい何に恋をしているのでしょう。何を愛しているのでしょうか。それが分かりません。
 分かりません。
 私が、分かりません。
 羽井ミズキは、本当に『初恋』に恋をし愛しているのでしょうか。
 分かりません。
 私は、初恋というものが分かりません。
 もしかしたら、私の初めてはもう、終わってしまっているのではないかと考えると、とても恐ろしい。気付きもしないうちに、傷つけられ汚され犯されてしまった気分で、狂ってしまいそうです。
 『初恋』が怖くてしかたありません。
 それでも惹かれてしまう。抜け出せない。止められない。
 まるで魅惑の毒。
 きっと私はその毒に蝕まれ、溶けてなくなってしまうまで、初恋を蒐集しつづけるのでしょう。
 死ぬまで。それとも、私の初恋が終わるまで。
 でも、分からないのです、教えてください。
 これを書き綴っているのは、誰ですか?
 羽井ミズキとは、誰ですか?
 羽井ミズキは、本当にいるのですか?
 それが『初恋』だと、誰がどんな言葉で決めるのですか?
 お願いです。どなたか、教えてください。

                       羽井ミズキ(仮名)


 そして、すべて読み終えて、ファイルを元の場所にそっと置いた。
 それから部屋を見渡す様に、ゆっくりぐるりと回っていると、ドアを数回ノックされた。返事をする前に、ドアが開けられ、ほっそりと少年とも青年ともどちらとも取れる歳ぐらいの男の子が現れた。
「あの………、読まれましたか?」呟くような声だった。
 陰鬱としたような風体で、病によってやつれたいる印象を受けた。
「今、読み終わったよ。ありがとう」
「いえ………」
 彼は部屋へは入ってこない。ずっと敷居の向こうに立っている。それどころか、部屋さえ見ようとしない。頑に、俯いては自分の踵を見る様に視線を落としている。
よほどこの部屋に悪い思い出があるのか、それともこの部屋の主が嫌いだったのか。分からないが、そう推測する材料はあった。
「あのさ、このファイルなんだけど………」
「はい。差し上げます。そんなのあったって………ゴミはいりません」素早い返答で、ゴミという言葉には、蔑みや憎しみが込められているような起伏があった。
 その言葉に甘えて、もう一度ファイルを手に取った。それからそのファイルを持って部屋を出ようとしたら、ドアの向こうに立っていた男の子の姿はもうなかった。
部屋から出て、ドアをしめる前に、もう一度部屋を見渡した。
 空っぽ。
 家具はない。だが、ここに居た人の残り香がかすかに留まっている。それもきっと窓から差し込む陽射しと月光によって、洗われるだろう。
 ここの主だった少女とは、友人でも恋人でもない。知人に留まるていどの関係だった。何度か面識もあり、彼女の親友だった人と、親しかった。友達の友達、赤の他人、そんな言葉で片付けられるような人だ。
 ただ、一瞬の特別な状況によって、ここを訪れたぐらい。
 もう二度とここへは来ないだろう。ここに住んでいた彼女にも会う事はない。
 階段を下りて、玄関で靴を履くと、またさっきの男の子がやって来た。
 儀式的なお別れの挨拶を済ませて、玄関のドアを開けた。
 すると、彼は呼び止めるように尋ねた。
「どうして姉は、自殺なんてしたんですか……、小鳥さん」
 僕は顔だけ振り返って答えた。
「もう一度、初恋がしたかったんだよ」
 そして、ドアを―――彼女の物語を閉じた。

                             (了)


                             (了)
                             

 

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