| 2006年10月01日(日曜日) | ||
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| 窓をあければ、雨が降っていた。何時ぶりの雨だろうか、見ているだけで気分がいい。僕は雨が好きだ。夕立や台風の時のような激しい雨も、霧のような細い 雨も、何日も続く雨も、見ているだけで、楽しくなる。見なくても、音を聞くだけでも、なぜだか嬉しいく感じる。だけど、濡れるのは嫌だ。小学生になる前、 濡れることも、服が汚れてしまうことも楽しく思って、雨のなか遊んでいたけど、いつからか、それが嫌いになった。なぜだろう……、そう思い出すことが、成 長あるいは老化で、その繰り返しで子供から大人になるのかもしれない……。好きなものが嫌いになる事は悲しいことではない。嫌いなものが全て好きなものに なる事は、決して善いことではない。でも、好き嫌いを選べる自由は、豊かなことだと思う。僕は、戦争も経験したこともなければ、何も選べない貧しい時代も しらない子供だ。 なんだかいきなり、ポエムっぽくなってしまった。横道にそれた。いや、そもそもどこを通っていたか、どこへ進もうとているかさえ、不明だ。五里霧中だ。 でも、これはあくまでも日記。天使でもなければ、悪魔でもない。あくまでも、個人の一日の軌跡を記述しつつ、少し横道それる程度が、適当だろう。 雨が降った。しかし外に出て、現在つかわれていないガレージ周辺の測量を簡単に行った。それから部屋に戻って、架空ガレージの平面図形を描いた。いつ出 来るか、はたして造ることが出来るかわからないが、いろいろと想像して計画するのは楽しい。僕の中では、ガレージは、一軒家を建てるより遙かに労働意欲を かき立てる。できれば、駅のあるガレージを建てたいものだ……(遠い目)。 最近どうもこの日記に批判的な事ばかり書いているような気がする。つまり愚痴だ。こんなものHPに載せるなんて何を考えていたんだ。恥ずかしい。別に、こ れと言って誰かに認めて貰いたい主張も、理解してもらいたいという気持ちは、砂丘の砂ほどもない。 恥ずかしい事を書いたものだ。反省しよう。でも、きっと一日で反省の気持ちは忘れるだろう。人呼んで、瞬間反省器!(こんなネーミング、恥ずかしくて自 称できないよ〜)。 反省の意味を込めて、今日は何かを褒めようと思う。だが、天の邪鬼のひねくれ者のイグチ。褒めることになれていない。個人を褒め称えるにも、それはほと んど身内(友人など)になってしまう。あとは著名人に数名だ。その人達を褒めたとしても、それはイグチの主観による評価であるし、べた褒めしても、しかた がないように思う。だって、みんながみんな尊敬できる人なんて、いないもん(宗教問題について語る気はない)。尊敬してるなら、勝手に尊敬してれば? と 思ってしまう。では、人物ではなく何かの出来事はどうだ。それも同じかもしれない。褒め称えられるほど素晴らしい出来事、システムなどは、黙っていても浸 透するし、着色して誇張して誰かに伝えることでもないだろう。 誰かに広めなければいけないもの、伝えなければいけないこと、知って欲しいと思う出来事、そういったものは危険なもの、忌諱すべきこと、非難したい出来 事がほとんどだと思う。 なるほど。では、そういった事を多くの人に広める役割が、新聞やニュース番組などのメディアなのかもしれない。よくもそんなに毎日毎日同じ様な事を、嘘 や誇大表現をちりばめて伝えるものだ。しかし彼等も仕事なのだ、少しは穏やかに見てあげなくては(仕事なら良いのか!)。仕事でなければ、赤の他人に集団 でマイクやカメラを向けてプライベートな質問をしたりするような下品なことは、できやしない。仕事でもできないかも、いぐちは。 あれ? また批判をしていないか? う〜ん、まるで昔話の頑固オヤジみたいだ。でも、守りより、攻めるほうがバリエーション豊かで、面白いのではある が……、言い訳ですね。 一日どころか、たった数行で何を反省していたのか、忘れてしまったようだ。これではまるで、瞬間反省記だ。恥ずかしいな。 |
| 2006年10月02日(月曜日) | ||
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| 良い天気ですね、と書いたらどんな天気を想像しますか? チッキチチチ♪ 毎日、往復40分ほどのドライブをします。会社勤めをされ、車通勤の方は、毎日ドライブされていると思います。毎日では、労働基準法に反するか。 朝のド ライブの時、通学中の小学生が集団で、歩道ではなく、車道のそばを歩いています。時速60キロメートルほどのスピードで走る車の、三十pぐらいあるでしょ う か、それぐらいの距離の沿道を集団で登校しています。もちろん、一列に並んでいます。夕方のドライブで、町の公共施設の壁に横断幕が飾られ、そこには「子 供は町の宝です。みんなで守りましょう」と書かれているのです。 不思議ですね〜。毎日、時速数十キロで走る車のすぐ側を、ガードレールも柵もない場所を通って登校しているのですよ、みんなで守りましょうと言っている 宝が。別に行政批判をしているつもりはありません。ただ、その町は秋から春先にかけて朝は濃霧が発生することがあるの で、視界が悪い道路のはじっこを、小 学生と通勤車両が行き交うのは、危険ではないかと思っているだけです。実は、いぐちは何度か霧が濃い朝、雨の日です、小学生の傘と車が接触してしまった事 があるし、急ハンドルを切る車を何台か見たことがあります。 しかし驚くことに、いぐちが見た範囲で、車のすぐ側を通っている小学生は、平然としたもので、慣れているのでしょう。危険と思われる環境も、その場に身 を 起き続けると、どんどんと危険と思う感覚が、鈍ってしまうのでしょうか。それは歩行者だけではなく、運転者にも言えるでしょう。そして、交通に限ったこと ではないでしょう。多くの危機管理システムに就く人にとって、危険なことの一つに、想定した危険が発生しない事に慣れて鈍感になってしまうことではないで しょうか。では、どうすれば鈍感にならないのか、それは、どうすれば鈍感にんらないのか、と考える事と、事態を悲観的に予測することが安全側でしょう。 ところで、町の宝ってなんですか? それと同じように、友達は一生の財産だなんて、聞きますが、財 産ってなんですか? そんなものなのでしょうか、子 供も友達も。宝より財産より大切な物がないなんて、不自由なことだと思う。 もろん、これは一般論ではありません。全てはいぐちの主観なので、あしからず。 大切なものはなんですか? そんな質問を何度も、自分の人生とおよそ関わりのない赤の他人から尋ねられた 事があります。大切なもの? 少なくと、初対面の赤の 他人に嬉々と語れる程度のものは、本当に大切ではないでしょう。 もし、相手が恋人や奥様だったら、彼女たちの心労を察して、語らずにおきますがね。知らぬが仏、知れば蛇が出るか鬼が出るか。さて、どうなることや ら……。 |
| 2006年10月03日(火曜日) | ||
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| 晴天です。天気のいい日は外で遊びましょう、なんて言うのようになったら、引退しようと思います(何か
ら?)。 十月三日ですね。素数です。素敵です。たったこれだけで、今日一日が清々しく感じます。単純ですね(笑)。さて、一ヶ月に素数は何日あ るでしょうか、 チッキチチチ♪ なかなか良い感じの日差しだったので、庭に出て写真を撮りました。日差しに照らされた物を撮るのではなく、影が撮りたかったから。光りがあたる物より、 影か、影に潜むものに魅力を感じてしまう。なるほど、いぐちは日陰者なのか……(溜息)。 昨夜ですが、音楽家志望の友人、M岡氏から新曲が出来たとメールを頂き、飛んでいきました(実際に飛べたらいいな)。まだ録音作業されてないことで、初 めて生歌を聴かせて頂きました。この曲は氏の作品の中で、一番爽やかリズムで尖鋭な歌詞ではないかと思う。もう、幸せなひとときでした。ありがとうござい ます。作るたびに良くなっている、もしくは高い位置に向かっているのを感じます。その後、創作についてあれこれ議論を。楽しゅうございました。 小学生の頃、読書感想文なんてのがあったが、あれも大っ嫌いだった。なんでそんなものが有ることかと、読書感想文の代わりに文句を書いた覚えがある。一 度、読書感想文で「すごく面白かったです」という一行だけ書いて提出した事がある。すると担任の先生は「どんな風に面白かったのか、具体 的に書きなさい」 そのような文章が赤ペンで書かれて返ってきた。僕はどうして先生がそんな事を書いて、書き直しをしなさいと言ったのか不思議だった。その本を読んで僕は確 かに「すごく面白い」と感じた。嘘は書いていない。どんな風に面白かったか具体的に書けと言われても、分からない。読 んでいる時は、その虚構世界にどっぷ り浸かっているから、場面場面を分析なんかしていないし、作品全体が面白いと、当時は本当に感じた。なるほど、もしかして先生はこの作品を分析しなさい、 とでも言いたかったのかもしれない。本を読んでいる時の感想なんて、好きか嫌いか、面白いかつまらないか、ぐらいで、 後からその時の感情を分析して、言葉 にして、紙に書いているのだと思う。少なくとも、いぐちはそうだった。 他人の作品を客観的に批評したり評価したりするがの苦手だ。まだデータが少ないせいだと思う。あと千冊ぐらい小説を読んでから、批評をしようと思う。 自分の作品は、評価をつけれる。だから、他人にどんな批評されても、自分がつけた自作の評価は変わらない。それが自己評価だと思う。まだ数名だが、メー ルで作品の感想をいただいた。中には批判的な物もあった。でも、それでへこむほど、いぐちは協調性のある人格をしていない。意見聞き、一般を認識するため のデータとして使わせて頂くが、それらの意見や批判が、作品に影響することはない。それがオリジナリティだと思う。 何が言いたいか、感想のメールや掲示板への書き込み大歓迎です、という事だ。 |
| 2006年10月04日(水曜日) | ||
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| 何だか素晴らしい日差しが続いていますね。影を見ているだけで、和みます。けっして「癒
される」なんて言いません。癒しは受動的ではなく、能動的な機能。つまり、外から癒されなくて、体を癒す力は生まれ持っている。つまり
癒される、とは錯覚か思いこみ。思いこみが必ずしも悪いとは限りませんけどね。お幸せに。 朝、職場につくと本日のノルマが分かる(もしくは前日に)。それを見て「こんなの終わるわけないじゃん」とパート ナーの方が口癖の様に言う。もう口に入れたリトマス試験紙が赤くなるぐらいだ。他では「こんなペース じゃ、いつまでたっても終わらない」「全然減らない!」なんて事も言われる方がいるらしい(僕自身が観測していないので不明確だが)。 でも、やれば終わります。このペースだと後何時間ぐらいでなくなる。簡単な割り算と比例の問題だ。小学生でも計算できる。きっと、計算しない(あるいは、 したうえでの誇張)のだろう。もうちょっと計算してほしい。これに似たことが「このままだと国が借金まみれになるだろ」に も言える。……あれ、これは少しは計算してるのかな。 他人に何かを伝える時、なるべく数字で表すようにしている。それが日本語より事実を客観的に説明しやすいと思うから。きちんと伝えたい事を伝達すること が言葉に役割だと思う。だから会話の中で「どれぐらい増えた?」と尋ねられた「だいたい二分の三乗に 比例しています」なんて風に答えることもよくある。だが、それで伝えたい事が、相手に分かってもらえるかどうか、表情ぐらいでしか反応 は見えないから、分からない。 そして、たまに「数字に表すことができないこともあるだろ」「数字ばかりでじゃ何が言いたいか伝わらない」「そんなに数字数字って、寂しくない?」と言 われた覚えがある(僕だけかもしれない)。そう言うときの解答との一例として「認識と測定方法が問題でしょ。ところで、全ての現象を言葉で表せますか?」「日 本語だって、日本語が通じる人だけしか伝わらないじゃん」「あ、もしかして寂しいのが嫌いなの?」 です。捻くれてますね(笑)。 探していた『ウミノクマのぬいぐるみ』がやっと届いた。入手難易度はDぐらいだろう。生産中止の鉄道模型や、何十万 もするエンジン模型にくらべたら、安いし簡単に手に入る。だが、このかわいさ、あなどるな! あぁ、癒される。 |
| 2006年10月05日(木曜日) | ||
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| 曇り空です。乾燥気味だったから、今日は加湿器いらずかな。 夕方頃、友人・S崎氏と一緒に市内へ(飲み会だと後に判明)。懐かしい方と再会できました。意図的に選出されたのでしょうか、S崎氏以外の方、漫画家志 望 (アシスタント)の方です(三名ですが)。色々と業界のあさーい話と『ハチミツとクローバー』について話をしまし た。その中で現在、少女マンガのアシスタ ントをされているN氏(一年で体重が三分の一減少されたらしい)が「描かれている主人公の恋愛 なんかの価値観と、作者の考え方って基本的にずれ てるけど、絵の印象と作者の印象はずれがない。絵は正直だよ、うそつかない」と仰っ ていました。これには納得して「その通りだ!」と思 わず言いたくなりました(そこまで酔ってない)。 これが漫画ではなく、小説にも前半部分は当てはまると思う。小説の中に書かれている登場人物のセリフ、独白や考えが、必ずしも作者の価値観や思想、そう 思っているとは限らない。いぐちの場合は、八割は違う。小説家の能力の一つが、いかに多く(他人)の視点になれるかだと思う。自分と違う考えや思想を 持つ人に、自分より軸の違う視点に移れる跳躍…、チャンネルの切り替えが出来るかどうか、それが小説家(創作者)の力の一つだと思う。もちろん、人それぞ れ思う事はあるだろうし、それが全て決める訳でもないだろう。 ただ作中にどんなに作者の価値観や思想と違う事が書かれていても、それらすべて作者が考えた事には変わりない。そうでなければ盗作だろう。 アマでも漫画家は素晴らしい人が多いな、と思った。きっと、イグチと比べるからだろう。 町中にはおかしな宣伝文句(フレーズ)が沢山ある。そういった看板やポスタに文句を言うのがS崎氏の特技らしい。一緒に歩いていると、面白い物を見つけ る。 S崎氏「幻の秘湯特集って、教えたら幻でも秘湯でもなくなるやん!」 いぐち「そして、幻はなくなった……。でも、特集するほど幻の秘湯がよくぞあったね。開かれた秘湯だ」 とか、 S崎氏「もっと明るい日本に変えるって、眩しすぎて何も見えなくなるじゃん」 いぐち「そうだね、不透明がいけないなんて言って、目眩ましするのかな。でも、明るいのが必ずしも善いとは限らないよね」 S崎氏「誰かカーテンしめろ!」 とか、 S崎氏「冷やし中華始めましたってポスタ貼らずに、一年中作ってよ!」 いぐち「え、あ、でも……もう秋だよ」 とか、 いぐち「綺麗だよね、あの写真。あれってさ、モデルが良いの? 服が良いの?」 S崎氏「どっちも大ッ嫌い!」 不思議と、会話の半分以上噛み合っていないようで、八割以上は通じ合っている。それだけ弾性波による意思疎通は曖昧なのかもしれない。なので今夜会った方 々とメールアドレスを交換しました。弾性波より電波の方が速いしね。 |
| 2006年10月06日(金曜日) | ||
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| 晴れていますが、風が強いですね。台風が接近しているようですね。テレビは見ないけどネットで天気予報
ぐらいは確認しています。でも、どうせなら天気予報の結果とか的中率とかそういった統計も出してほしいな、サービス業なら。ん、この手抜き感をサービスと
言うのだろうか? 敵を作るような発言は控えよう……。 工作を一時間ほどして、執筆を一時間少々しました。長編の「もう、彼女しかいない」は後回しにして、締め切りが先の「恋々連鎖のフィラメント」に専念し ます。現在、1万五千文字(15%)程で、今月の二五日頃に完成予定。自分で決めた計画は守る、それが今月のポリシー。ちなみに、他人によって態度を変え る、がイグチの信条です(当たり前のことですがね)。 いぐちは、一時間に約三千文字ほど打ちます。中学生の頃はもうちょっと速かったと思う。でも、これからもっと速く打てるだろう。これは速筆なのだろう か、いや、速盤(算盤みたいなだな)なのかな。ま、速ければ良いという問題ではないが、僕はもう少し速く打ちたいと思っている。 小説を書くとき、頭の中ではその 物語の映像が展開されている。それを見ながら、風景、心情、動作、詩、などを打つと、映像がどんどん先に行ってしまい追いつけない。分かりやすく言うと、 映画を観ながら、それをノベライズ化しているようなものだろう(分かりやすいか?)。あまりに打つのが遅いから、ある場面での流れがおかしくなったり、雰 囲気が違ったりする。これは恥ずかしい。 一時間に六千文字ぐらいは打てるようになりたいものだ。ワープロ検定一級は十分間に七百文字打たなければならないらしい(うろ覚え)。一時間だと4千2 百文字以上か……、これで誤字脱字が少ないというのだから、すごいな。あぁ、そうか、いぐちはまず誤字脱字を無くす事を考えなけらばならないな。日本語 入力ソフトを買い換えようかな、ATOKに。 リビングを通ると、家族がテレビを見ているから、僕も少し見てしまう。一体どんなものが放送されているのか、という小さな好奇心からだ。 なんだか最近、食べる企画が多すぎるような気がする。その中でも大食い番組は、一体なにが楽しいのか分からない。なんで苦しみながら食べ物を口に詰め込 む人を何十分も観るのだろうか。しかも、愛で地球を救おうという番組を放送しているテレビ局で放送されいるのだから、呆れて牛乳の賞味期限を見忘れたでは ないか。つくづく、他人の不幸が好きな国民だと思った。 それとね、食欲を促進するような内容を放送して、ダイエット情報を提供するのは古典的な手法だな〜。ま、いいけど。 |
| 2006年10月07日(土曜日) | ||
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| 晴れて、風が強いというラジコン飛行機を飛ばすにはバッド・ディです。…来年にはラジコン飛行機デ
ビューする事を目標にしよう。その前に何かやるべき事があったような? 昨日から家族が使っているウィンドウズPCが不調との事で観てみたら、ウイルスに感染(占拠?)されて、命令をなかなか実行してくれないという頑固な PCになってしまった。ネットにもつながらない、ソフトもインストールされない、圧縮ファルは解答されない等、一時間ぐらいで怒り心頭。ウィンドウズを使 うと、ホント苛々しちゃうわ、プンプン! みたいな事を耳元で繰り返し叫ばれている感じで、イライラします。マックなら、そんなことないんですがね。家族 で僕だけマックを使っている。でも、初心者にはウィンドウズを進める。その理由は、ウィンドウズでパソコンの難しさを身に染みれ、という教育。その後に マックを使えば、どんなに使いやすいか感動するだろう。僕は感動した。そういえば、中学校のパソコンって全部ウィンドウズだったな……。 小説の執筆を一時間程。17%ぐらい。来週からちょっと忙しくなるかもしれないから、明日は二日分は進めよう。ここはいつの間にか、メモ代わりに成って いるきがする……。 久しぶりに会った友人から聞いた事なので、事実かどうか不明だが、何でも子供が親を殺害した遺体をバラバラにしたという事件があったらしい。こういったニュースを聞くと「世も末だね」「世の中腐ってる」「病んでる。異常だ」と言う人が居る。そういう人に限って、まったく無関係、自分はマトモだ、被害者になる側の立場だと思っているようだ。 不思議だ。 いぐちは、こういった事件があったとしても、それが異常だとも特異な事でも自分はそうはならない、なんて思わない。いや、思えないと言った方が近いかもしれない。誰だって、衝動的に人を殺しかねない。それに物理的に可能だし、環境的に可能な場合が無いとは言い切れない。ニュースで流される犯行の動機とは、便宜上あとから付け足された言葉とも思える。犯人自身だって、その瞬間の感情、動機が分かるかどうか怪しい。他人に伝えられる動機なら、殺人なんて犯そうとは思わないだろう。 もし、世の中が腐っているのなら、それは老化だろ。そして、それと同じぐらいどこかで若い何かが成長しているのかもしれない、そんな予感もあるだろう。 世の末か……、地球は平らだったと信じられていた時代なら「へぇ、行ってみたいな」ぐらい言ったかもしれない。確か「人の欲望は果てしない」なんて言葉を聞いた事がある。そのとき、人は遠慮深いんだな、と思った。果てしない、のではなく、誰も果てまで辿り着けないから分からないんだろう……。欲望の果ては、なんなのだろうか……。世の果てって、どうして分かるのでしょうね、以前にも世の果てがあったのでしょうか? それにしても、どうしてニュースの情報を信じられるんでしょうね。みんな綺麗な心だな。 |
| 2006年10月08日(日曜日) | ||
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| 晴れて、それでいて雲が広がり、風もそんなに吹いていない夢の様な天気です。こんな天気が一週間ぐらい、正月辺りで続いてくれれば嬉しいのにな。 昼頃、一時間ほどガレージ周辺の草刈りをした。イグチはこのまま放っておいても良いと思ったのだが、親から再三苦情(要請)があったので草刈り機を担いだ。見た目が良くない、という理由で大量の草花を刈ることになった。年に五回ぐらいは草刈りをするが、一度も必要だと思ったことはない。そんなに草花が生い茂るのが嫌ならコンクリートで固めて欲しい。 草刈りを終えると、刈った場所から匂いがして、それが衣服に付着する。淡水魚ぐらいの生臭さだと僕は感じる。とても憂鬱な気分になる。まだ小学校にも入る前ぐらい子供の頃、僕はその匂いは、草を切ったから血が出たんだ、きっとこれは草の血の匂いなんだ、そう物を擬人化させて考えていた。今でもそう思っている訳ではない。ちゃんと中学校で生物の授業をうけた。だけど、理屈では分かっているのに、どうしても幼い頃の記憶が、切り刈られた草花の匂いで脳裏に過ぎり、色褪せた罪悪感を、けれど鮮明に思い出される。 草刈りの後、シャワーを浴びて気分を切り替える。そんなことしなくても気分は、気持ち一つで切り替わる。あれ? 気持ちって何個あるのだろう……。 夕方頃、陽射しがなかなか良かったので、写真をあちこちで撮った。撮影するとき、なんだか隠れんぼをしているような気分になる。僕はオニで、ひっそり隠れている何かを探す。後から考えれば、恥ずかしい事をしているような気がした。 読書の秋ですね(いきなりだな)。別に秋だから読書するわけでも、量を増やしたりはイグチはしない、というか出来ないかも……。小説を書く事に比べたら、読書をする持久力は低い。小説なら四時間ぐらいずっと椅子に座って書いていられるけど、読書は一時間も持たない。疲れる箇所が違うからだと思う。小説を書き続けるとキーボードを打つ腕(指)が痛くなる。読書は文章を映像に展開しながら読むから遅く、そして頭が痺れる。仕事率は執筆のほうが高いと思うが、どうしてか読書の方が短時間で休憩をいれてしまう。なぜだろう、使い方の違いだろうか………。 週に一冊を目標に読書をしているが、現在、京極夏彦氏の「魍魎の匣」を読んでいるが、三週間はかかりそうだ。まるでレンガのような厚みだ。だが、飽きない。これがプロの力なのかもしれない。小説家になるには沢山小説を読むことが必要らしいが、小説よりも国語辞典を読んだ方が得られる情報は多いと思うが……、か行辺りで飽きてしまいそうだ。 今、ふと思ったけど、日本語のマニュアルって国語辞典なのかな? 国語の教科書ではないのは確かだろう。 |
| 2006年10月09日(月曜日) | ||
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| 晴れ時々、さてどうだったか……。休日は、殆ど部屋に引きこもっています。不健康? 不健全? 健康と健全の価値ってなんでしょうね。少なくとも健康にならなければ、健全でなければと思いこみ、それが善だと信じ込んでいるよりは、私は自由です。 昼頃にHPの編集をちょこちょこと。「日記」と「気まぐれ機関車」の写真をポップアップウィンドウで開くようにタグを書きました。 HPを作るのは二年ぶりで、中学生の頃(九年ぐらい前)に個人でHPをエディタで書きました。中学校は強制的に部活に入らないといけない規則があって、楽だろうとパソコン部に入ったのが間違いで、三年生の頃、学校のHPを作らされました。もちろん、他にも部員がいるのですが、実際は二人ぐらいで作りました。グラフィック担当とプログラム担当、いぐちは後者でした。 今でもその中学校のHPは運営されているようですが、デザイン、基礎と骨組みに変化はなく、内装や外装などの飾りを変えているぐらいで、なんだか使い勝手が悪くなっているような気もしました(いぐちの主観です)。 当時デザインしたときは五年以内に作り替えられるだろうと予測していましたあったのでしょう。それが今では、ただ古いシステムだけが稼働し。後輩への期待もているようなものが、たぶん教員の方が更新作業をされているのだろうと思う。 私見です。決して悪いと言っているのでもないし、自分の能力を比較し自慢している訳ではありません。ただプログラムを書いていた頃に体験した恍惚感を思い出してしまっただけです。……年寄りですね。 ちなみに現在は、プログラムを書く時間が惜しいので、HP作成ソフトを使っています。なので楽ちん。 工作の秋ですね(いきなりだな!) 昼頃にあんな事があっても、静かに工作(趣味)が出来ることが不思議に感じ、数年前の九月十一二日に普段通りの生活ができるのが奇蹟だと感じられずにはいられなかった事を思い出した。遠い国の事ではない、遠い未来の事でもない、他人事でもない。明日には戦争がおきても、新宿に核が落ちても、大規模な放射能事故が起きてもおかしくはない。 でも「いつ核が落ちてくるか分からない」「もしかしたら明日、核ミサイルが発射されて死ぬかも知れない」と近い未来に対しての悲観を嘆いている人が周囲にはいますが、そんな事を言う人に限って抗議活動をするわけでも「だからこうすればいい、そうしなければいけない」というわけでもない、受動的なのです。なぜそんなにも不安を煽ろうとするのか、なぜそんなに未来を悲観するのでしょう。 悲観的に物事を予測するのは大切だと思う。それが安全側だから。でも、それらは何かを設計したり、行動を起こす前の気構えのようなもので、ただ事態を受け止めるだけの立場から動かないのならば、悲観するより、せめて楽観した方が、選択肢は多いと思う。人生を悲観することなんて、死んでからでも遅くはないのだから。 と言う訳で(どういう訳?)、段ボール機関車の塗装を一時間ほどしました。執筆は日付が変わる頃にでも。ちょっと夜更かししても大丈夫だろ!(そこは悲観的な予測を……)。 |
| 2006年10月10日(火曜日) | ||
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| また朝が来た。僕はいつものように少し、なぜだか涙を流した目を擦りながらベッドから起きた。磨り硝子から透ける陽射しは甘いクリーム色で、外はスズメかヒバリだかの鳴き声が乱れた調子で聞こえてくる。静かとは言えない、だが、訪れた朝は、平和だった。また、平和だった。まだ、平和だ。本当に、平和なのだろうか……。 その日の天気から書き始めるのも飽きたので、小説風に書き出しました。なんだか、これから登校する途中に人類の命運を握る事になるような出会いがありそうですね。ま、人類の命運なんて知ったこっちゃないんですけどね。とにかく、晴れました。 今日は夕方頃から、憎きウイルス軍に制圧されたウィンドウズPCとの最終対決を行いました。ディスカバリディスクを作って、バックアップを取って、データを消去、再セットアップ。なんて面倒なんだ、ウインドウズ。二時間ぐらいかかって出荷時の状態にもどして、それから不要なソフトを消去、消去、無駄なソフトが多すぎる! それからオフィスやネスケやウイルスバスタをインストール。なんて手間がかかるんでしょ、この子は。手がかかる子ほど可愛い、それに類似した言葉を聞きますが、手がかかっている瞬間は可愛いなんて思ってないだろ、と可愛い子の親の顔を見ながら訊きたいものだ。いぐちは、その境地まで達していない。まだまだ修行不足だ(禅の修行か!)。 一日目はソフトの設定で終わり、明日はネットワークの再構築……。ウイルスとの戦いに辛くも勝利したが、いぐちの戦いはまだ続く………。 一時間ほど小説を書いて、完成度は20%ほど。先はまだまだ、やっと三章にはいったぐらい。あぁ、遅いな……。何が原因だろ、深夜の洋ドラマのせいかな、工作のせいかな、仕事のせいかな、不確定だけど自分のせいなんて思わないから、改善の余地はまだまだありそうだ。どんどん自分の生活(人生)の中から不要な物を切り捨てれば、時間は確保できるだろう。時間が、もっとも欲しいのに、絶望的に足りない……。時は金なりなんていうけど、時間はもっと貴重だ。時には金では、いかがだろうか。時間は金で買える、場合もある。金でなんでも買えるなんて思うな、というの言葉は正しい。そうだ、売っている物以外は金では買えない。 だから誰かが愛を売れば、誰かは金で愛を買える。人の命(時間)だって売っているのだから、あり得なるだろう。 |
| 2006年10月11日(水曜日) | ||
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| どうも寝不足が続いて、起床から三時間ほど機嫌が悪い日が続いています。今のところ、その間は人との接触を極力さけているので支障はないですが、改善しましょう。「わたい、寝ないとダメじゃないですか」なんて事を口にするようになったら即座に「死んだらずっと寝ていられるよ。誰も起こせない」と言ってやってください。尚、いぐち以外の方に有効かどうかは不明です。 夕方頃からウインドウズ戦争、なんて書くとまるでOSの統一を賭けた戦いみたいですね。ま、そうなったら一番喜ぶのはウイルスでしょう。もうしばらくはウィンドウズが普及率一位のままなんでしょうね。えぇっと、収穫逓増だっけ? 一時間少々でウィンドウズさんは大人しくなってくれ、あと三年はがんばってくれそうです。なんか、一所懸命回転してるな、と微笑ましい。マックとウィンドウズとの共存も考えるか………。 今夜は小説の執筆を中断して、一時間ほど読書を。小説と漫画を各三十分。矢沢あい氏の「Paradisekiss」を読了。少女漫画などで美形のキャラクタを飽きるほど見ましたが、ほとんどが線が細くそして薄い。矢沢氏が書くキャラクタは美しいく、そして力強く鮮明だ。きっと氏自身が美しいモノを持っておられるからだろう。それとキャラクタの衣服などは本当に勉強になる。あの奇抜さは衣服以外にも通じるものがある。明日からは「NANA」を読む予定。 スポーツの秋ですね(いきなりだな!)………えぇ、これだけです。特にスポーツ関しての話題はないんです。スポーツを趣味だなんて言えない、と思っているぐらい。趣味は、創作や研究など芸術、工芸のようなものであり、人脈を広げるため、教養を深めるため、何かに役立てるためというものは趣味ではないと思っています。なのでイグチはオタクを良い印象で使っています。オタクは言わば、研究者ですからね。 誰がどんなものを趣味と言うか、何が趣味か、それは自由ですし、趣味を持っているから偉いとか善いとかという問題でもありません。人それぞれ、生き甲斐や、楽しみがあるでしょう。 【次回予告】「宇宙の果てはあるのですか?」「ありません。地球だって果てはないでしょ」大人の子供的相談室 |
| 2006年10月12日(木曜日) | ||
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| 時々曇り、夕方には雲一つしかない空でした。ちょっと写真を撮るにはバランスが悪いかな、という天気。もう少し腕があればな……。 二時間ほど小説の執筆して、二万六千文字ほどに進捗。まだまだ伏線ばらまき状態、もうちょっと先かな……、いや、山場はないか。次の作品がフラッシュバックしてちょっと鬱陶しい。あと二週間ぐらいで終わるかな。 矢沢あい氏の「NANA」を読了……まだ完結されていない物語なので、先が楽しみなのだが、着地地点はもう見えてきてるかな、絵は正直だからね。明日は三ノ宮知子氏の「のだめカンタービレ 16巻」が発売されるので、それを読む予定。来週からドラマが放送されるようだが、それはもう別の作品として思っている、一話は視てみようかな、というぐらいの興味。しかし、演奏に関しては興味津々。どう演じるのだろうか……。 夜、友人S崎氏が来宅。彼女は少女漫漫画マニアで、最近のベストセラ作品について色々とトリビアな話をしました。おみあげに、なぜかクマのぬいぐるみを頂きました。理由はわかりませんが、かわいいので(クマが)敢えて訊かず。 友達が居る時か、友人の家へ御邪魔した時ぐらいしかテレビを見ないのですが、最近は二時間番組が連日放送されているらしい。今夜も節約を題材にした番組が放送されていた。一ヶ月の間にどれだけ支出を抑えるかの対決らしいですが、実生活でそれらの節約方法を実践される方も、テレビの前でその番組を二時間も視ている人も、時間持ちですね。こんな文章を書いているイグチも人の事は言えないか……。 来訪者カウンターがもうすこちで1000ヒットになる。その前にここがなくなるかもしれないが、その可能性は低いので、それは伏せて何か催し物をやろうか考えている。ここに訪れてくださる方は十人未満だと思うから、大規模な物をやっても白けるだけか、自己満足だと思う。だから、ショートショートでも書こうかと思っている。……ま、勝手にやってれば、みたいな反応が予想されるが、そこを敢えてやるのも、いぐちらしいか(考えてはいけない)。 掲示板かメールでリクエストを募のり、極力それに添えようと思っています。なければ、千文字前後の作品を三作品ぐらい展示します。 1000ヒット記念の次は、8128ヒット記念かな? さて、なぜでしょうか。チッキチッチチー♪ 【本日の宿題】腐っていれば腐っているほど売れるものなーんだ。 |
| 2006年10月13日(金曜日) | ||
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| 活動しやすい、僕にとっては良い天気だった。 お昼過ぎに、二ノ宮知子氏の「のだめカンタービレ16巻」を購入するために書店へ。……まだなかった。発売日はあってるはずなのだが……、しかたないのでネットで注文しよう。はやければ明日には届くだろう。 まったく、便利な世の中だ。有り難い。田舎暮らしをしていると、ネットショッピングのありがたみをすごく感じる。だが、都会暮らしをしたことがないから比較は出来ないが。書店などのメジャなジャンルのショップは地方にも沢山あるが、模型などのマイナのものとなると、実際に店を探して尋ねるよりも、ネットの方が遙かに便利だ。ネットオークションの恩恵も、いぐちは十年ぐらい前から受けている。やはり、世の中は便利な方向へ進んでいるようだ。 そんな事を書くと、便利になることによって失われる物がある、と言う人がいるかもしれない。そういう方はコメンテーターの素質があるだろう(偏見だ)。具体的に失われる物とは、なんだろう? ハングリィ精神はたしかに失われるかも知れないが、必ずしもそれを捨てなければならない、という強制はないはずだ。何を得て、その代わりに何かを捨てる、もしくは何も捨てずに得ようと努力する、何も得ずに全てを捨てる、そういった選択は誰にでも出来ると思う。文明は便利になった、そして、文化は豊かになり、人はその自由という選択を得たと、いぐちは思う。これから先どうなるかは、神さえ知らないだろう。 明日、友人M岡氏が地元の催しものに、バンド演奏で出演する。陣中見舞い(お節介、邪魔等とも言う)に伺った。ずいぶんと疲労し、緊張されていた。まだテンパってはいない。まだ煮詰まらずに、火力を上げている段階のようだ。前夜なのに。 通し稽古をし、持ち時間の調整する作業の際に、トークをどうするかと悩んでいる。どうも、いつもとは違う人格が現れて彼も、私も戸惑ってしまった。大きな問題が発覚した、前夜で。 ギリギリの作業は、確かにがんばっているように見えるが、計画を立ててコツコツと作業した作品と比べて、殆どは劣る作品になると思う。ギリギリの作業とは、手抜き作業の代名詞だと認識している。だけど、一所懸命やってる人に対して、「おまえは手抜きをしている」「杜撰な作品を披露するつもりか?」「今更がんばっても、良い物は造れないぞ」なんて言ったら、長年の友情は一瞬で壊れるだろう、だから言わない方がいい、と口に出すギリギリで思い止める。これは正しい判断だったのか分からないが、手抜きの思考だ。 |
| 2006年10月14日(土曜日) | ||
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| 嫌がらせのようなほど晴れて、昼頃はちょっと暑かったですね。長袖一枚で十分でした。体質のせいかもしれない。 今日は地獄起きで、コーヒーを飲んで友人M岡氏のもとへ。演奏の準備のお手伝い。機材運びなどです。 朝の冷え込みにびっくり。ですが、お昼頃になると陽射し強烈。野外ステージで、聞いていた私達も暑かったですが、きっとステージ上のM岡氏は体調なども加わりベストコンディションではなかったのでしょう。ですが、なかなかいい演奏を聴かせて頂きました。音響設備もよく、聴いてた僕は満足です。これで今日の地獄起きは帳消しですね。 地元の催し物ということで、しかも母校が会場になっていたので校舎の中を少し見学、担任だった教員の方とも少しお話を。同級生の方にも会いましたが、自分の固有名詞に対する記憶力の悪さを再認識した。映像は更新しました。 お昼過ぎに帰宅し、ちょっと昼寝。優雅ですね。夕方ごろに起きて、雑務を少々こなしました。明日、ある方と会おうする予定があるので、その準備も。 今日から小説の執筆を中断して、別件の仕事を来週一杯こなす予定。新作の完成予定を修正、十月中に出来ればいいかな。杜撰な計画だ。 カウンター解析というサービスがあるのを最近しって、試しに使ってみた。なるほど、色々と分かるんだな。でも、訪問者が使っているブラウザとどこから飛んで来たかが分かるぐらい。いぐちは、ブラウザはネスケを使っている。ホームページの更新の際の確認作業はネスケをつかっていたが、エクスプローラの利用者の割合のほうが高いとしり、エクスプローラをインストールして自分のホームページを見たら、きちんと表示されていない箇所かいくつか見つかった。これはブラウザの機能云々より、自分の客観力の低さを認識した。来週中には直す予定。ついでに余裕が出来れば小説を一作アップしようと思っている。ちなみに、小説の表紙は、全て自作です。小説は実は夜な夜な、僕が眠っている間に出来ているんのですよ、なんて書いたらイグチが夢遊病か、妖精さんが書いているのかもしれない。ま、遠くはない。執筆中は、どっぷり虚構世界に浸かっているのだから。 |
| 2006年10月15日(日曜日) | ||
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| 昨日の天気を保存したような天候でした。そして、昨日に引き続き休日なのに地獄起き。眠気覚ましにコーヒーを飲みながら、時刻表などの確認。 お昼頃に、電車に乗って市内へ。恥ずかしながら、というほど恥ずかしくは思っていないが、電車に乗るのは6年ぶり、二回目。初めてといってもいいかもしれない。切符ってここで買えばいいのか、あれ、どのボタンを押せばいいの? どこ行きに乗れば? え、どの線? 何番ホームに行けばいいの? と内心あわてふためいていました。ちなみに、バスにも片手で数えられるほどしか利用したことがない。公共交通機関とは縁遠いイグチです。 人と会う約束があり、一時間ぐらいで、その用件は終わった。道に迷い、時間に遅れそうになったので、タクシーにのったら百メートルほど走って着いた。GPS機能が搭載された携帯電話の購入を考えた。 コミックを購入して帰宅。二度と休日の電車にのるものか、と駅に誓った(人ごみ大ッ嫌いだもん宣言 フラワーフェスティバルの涙)。 帰宅して購入したコミックを読んだ。ちょうどその時、テレビでN響が流れていたので、それを聴きながら読んだ。ちょどいい。二ノ宮知子氏の「のだめカンタービレ16巻」を読了。微妙な間の表情、シリアスとコミカルのバランス、そして何より人物の動きのテンポが絶妙だ。これを文章だけでどうやって表現できるだろうかと少しばかり考えた。これから色々と実験をしよう。 前々から認識していたが、いぐちの思考スピードは平均より遅いかもしれない(平均を求める母集団が偏っているかもしれないが)。これは人との会話で度々思い知らされる。今日も仕事(少なくとも相手側は仕事)で、人と会って話をしたが、初対面の方と話をする時ほど、応答に困ることは今の所ない。いきなり回りくどい返しも白けるし、こちらの専門分野の言葉を使っても伝わりづらい、極一部の親しい人と話すような天の邪鬼な言い方をしては失礼だろう。どんな人格で接するか、どの程度の出力で本心を伝えるか、どのぐらいの精密さが必要なのか、その選択が難しい。だから、大抵は頷いて「はい」「ええ」「そんな事はないですよ」「ありがとうございます」などの言葉を笑顔で言うぐらいの、つまらない会話になってしまう。 仕事絡みでの会話で、とくに初対面などでよく「なにか質問はありませんか?」と訊かれる。これは相手の能力を知るための手段としては効果的だと僕は思う。何を質問するかによって、相手の姿勢、視線、興味、理解度、発想、客観力、なにより問題を発見するセンスが、その一言で伺え知ることができると思う。質問に対して答える事より、質問をする方が遙かに高度なテクニックが必要だと常々思い、精進するように心掛けている。 今日も「なにか質問はありませんか?」と訊かれたが、そこで自分の思考の遅さを再認しきした。訊かれてから五秒以内に何か言わなければ、会話のリズムが淀んで困ってしまう(僕が)。その五秒間、頭の中では色々と訊いてみたい事が浮かぶのだが、それに対して別人格が「調べれば分かることだろ」「なんでそんなバカみたいな事を訊く?」「その質問は、この方に訊くのが妥当か?」「本当に知りたいの?」「その訊き方で、伝わるか?」等々と僕に質問してくる。結局タイムオーバで、「いえ、特にありません」と言ってしまった。これが恥ずかしかった。「だったら、あんなゴミみたいな質問した場合とどっちが恥ずかしかった?」と自問自答してみたが、そんな仮定を考えても仕方がない。 |