私的詩的四季私記(06/09)



とろけた光りを集めた10月



2006年10月16日(月曜日)
もう「イジメられる方も悪いんだよ」というセリフは死語か?
 
 静かな朝だった。昨日よりよく寝た。どうしてだろうと、ちょっと眠気覚まし程度に考えながら起きたら、家族が居なかった。そうか、だから静かなのか……。家に誰もいないから、安心して熟睡していのだろうと終了。
 コーヒーを飲みながら、雑務と毎日チャックしているサイトを回ってから、一時間ほど小説の執筆。ショートショートを二作書いた。短い話ほど、書くのが難しい。だが、突拍子もないモノが書けて面白い。夢のような作品が出来た、それぐらい支離滅裂
 お昼から三時間かけて、雑務をこなす。60%ほど進んだ。明後日には終わるだろう。予定より二倍速だ。ちょっとペースが速い。気を付けないといけない。調子に乗るなよ、という自戒。
 夕方頃、友人のM川氏からメールが届いた。彼女は月に一度はメールをくれる。決まって長文だ。目測だが二千文字近くはあると思う。ちなみに端末は携帯電話だ(これがすごい)。内容は日々の愚痴が半分、もう半分は怒りで綴られている。「怒り」が半分占めているわけではないですよ。そして九割方、こちらの意見を問うような投げかけの文章で終わるから、僕はそれについて返信する。すると議論になる。三時間ほどかけて議論した。メールだからこんなに時間をかけられるのだろう。これが会って議論するとなると、僕は多分三十分ぐらいで「もう、このぐらいにしまようよ」と言うだろう。そして、それでまた三十分ぐらい議論が長引く。何だか会議の法則に似ているな……。中々面白かったが、とてもHPには乗せれない。理由は、公共の秩序を乱さないため。でも、ちょっと書きたくなるのが、天の邪鬼だろうか。


 
 本日の議題は「イジメ問題」についてだった。最近、イジメで自殺した生徒がいるとかでニュースになっているらしい(正確な情報かは不明)。まだ学校でイジメってあるのか、ぐらいの感想しかなかった。僕が小学生だった頃も、イジメが大きな問題になった記憶があるし、色々とイジメ撲滅運動みたいなモノがあったのも覚えている。その当時からイジメに対しての意見は今もそんなには変わっていない。
イジメは悪くない。イジメ方が悪いから問題になるんだ
今から十年ぐらい前に、学級会でそれを言ったら、クラス中から非難を浴びたし、後で生徒指導室に呼ばれた。どうやら教員やクラスメイト達は、イジメられるのが嫌だからイジメを許容しない、という意志で統一したかったらしい。それか、速く終わらせたいから問題を増やすな、という意志に統一されていたのだろうか。まだ教育に体罰は必要だと思われていた時代だから、新しすぎたのかもしれない。
 いぐちは「あと三十年もすれば、学校でのイジメはなくなるだろう。少なくとも身体に傷を負わすような攻撃は今より少なくなる」と予測している。
 学校でのイジメられ、それが嫌だったら学校を変えれば良い。今は、それが難しいだろう。生活環境を変える事になりかねないのだから、再々変える訳にもいけないだろう。もしそれが出来ないのあれば、加害者と被害者を隔離する事だろう。これは監視システムなどの能力がネックになるだろうが、実現はしやすいだろう。
 あと三十年以内に、学校での身体的加害がなくなる、と予測したのは、上記の案が実現すると思ったからだ。現在のように、生徒が決められた一カ所の施設に集まるシステムがなくなるはずだ。ネットワークと端末機の処理能力などがこれからもっと飛躍するだろう。そうすれば自宅で授業は受けられる。今だって、ネットを利用した自宅学習は行われているのだから、そのシステムがさらに向上しても無くなる事はないだろう。毎日学校に通うより、エネルギーは少ないのだから(沖縄からイギリスの大学の通うよりは)。もちろん、それでイジメ問題が解決しても新たな問題が発見されるだろう。
 そして、その問題を考えるのは大人ではなく子供達だろう。教育の問題なら、なおさら子供が考えさせてあげるべきだ。 「こんなルール、誰が決めたの?」と。大人はそれに答える力を見せてあげるのが、一つの教育だと思う。
 制限と剥奪は、教育とイジメぐらい違う。

2006年10月17日(火曜日)
向かうところ、道なし
 
 朝は身震いする程、寒くなりましたね。そろそろ暖房機器を用意しようか、加湿器はもう運転しているのだけど。その前に毛布か? 年中掛け布団だけで過ごしているからな……、夏も冬も同じので。
 朝、暖かいコーヒーが美味しい季節になったな、と感じながらココアを飲みながらメールなどをチェック。リプライをしてから、さぁ出かけよう、というのが日課。朝食は摂りません。たまに甘いモノを食べるぐらい。徐々に食事の時間も減らしていこうキャンペーンを実施中。一日三食は多いような気がするからね、ま、一回の摂取量にもよるか……。
 夕方頃から雑務を三時間ほどこなした。達成率は95%。書類関係の雑務で、明日、捕捉を書いて宅配便で送れば完了。予定よりずいぶんと早く、大丈夫だろうかという不安がある。初めての作業だからかもしれない。明日ぐらいから小説の執筆が出来そうだ。
 工作も三十分程できた。まだ段ボールで機関車を作ろうとしている。多分、これが出来たら、次は木材加工にステップアップするだろう。楽しみだ。まだまだ初心者ですら無いかも知れない。初心を掴めていない。


 
 いぐちは、ニュースも新聞も観ない。
 そのせいだろうか、人と会って世間話、時事を聞いていると時々「え、それって何? どういう意味?」と思うことがあって訊いてみると、「え、なんでそんな事も知らないの? 常識でしょ」と言われるか、一瞬間を置くほど驚かれ(飽きられ)たりする。どうやらニュースや新聞などが、常識を決めているようだ。
 昨年末に、ニートという言葉を教えて貰った。仕事も学習もしていない人を指す言葉らしい。そして、それが社会問題になっていると、職場で聞いた。
 僕は「へぇ、それは日本も豊かになりましたね〜」と感想を述べると、教えてくださった方は「何を言ってる。このままじゃ、日本がダメになる」とまるで不発弾を抱えたように危機感を煽っていた。ちなみに、僕よりも年齢は約三倍の方だった。
 どうも色々な方の話を聴くと、仕事は生きていくために必要なことだと思われている方が、年配の方には多いようだ。きっと憲法で国民の三大義務に「勤労」があるからかな、と短絡的に考えてはいけないだろう。
 いぐちも、仕事は必要なことだと思う。でも「なぜ仕事をしなければいけないのか」そう尋ねられたら、いぐちは「嫌ならやめたら?」と答えるだろう。生きることと仕事は無関係だと思う。仕事をする事と、人間の尊厳とは何ら関係はない。「働かざる者、食うべからず」なんて言葉は、とても下品で貧しい危険な言葉だ。
 ではなぜ仕事をするのか、いぐちの場合は「好き勝手に遊びたいから」という明確なビジョンがあるからだ。至極個人的な目的の為に仕事をしている。
 仕事や学習もしない人が増えると日本がダメになるのなら、ダメになってから仕事や学習をするば良いのでは? 
 ちなみに、ニートに対して悪い印象を持っている人の殆どが、墓参りなどをして先祖を大切にしている。死体は仕事も学習もしないのに、だ。
 人間は複雑だ。


2006年10月18日(水曜日)
「そして、デブだけになった」 犯人は君の腹の中に……。
 
 まるで快速列車のように爽やかな天候が続いている。今は下りか、それがちょっと気になった。
 書類関係の仕事は、宅配便に預けて終了。予定より、5日ほど早く終わった。その時間は読書に回そう。まだ京極夏彦氏の「魍魎の匣」を五分の一ほどしか読めていない。まだ京極堂も登場していない……、楽しみだ。ちなみに、というほどちなんではいないが、いぐちの実家は三代ほど前から宮司を務めている、僕も次ぐ予定。宮司になってブックオフに就職したら現代版・京極堂になれるか………。妄想だな。
 三十分ほど小説を執筆。本編ではなくて、メモ書きみたいなものしかかけなかった。色々な短編の映像が誘惑する。あぁ、浮気しそうだ………豆腐のような意志だな。ちなみに、というほどちなんでいないが、いぐちは「浮気」も「二股」にも悪い印象を持っていない。どちらかというと、二股三股する奴はスゴイな、と思っている。嫌みではない。


 
 「遊々詩的工房」はオンライン小説に属するサイト、らしい。でも、他の作家の方のサイトを見ることはあまりない。リンクを貼らせていただいているサイトを含め、3つぐらいしか関心はない。それに比べて他分野の創作系のサイトに、三乗根ぐらい毎日見ている。リンクの申し込みをお願いしているところは5つぐらい。
 ちなみに、というほどちなんでいないが、創作分野の友人の中で作家(志望)の方は一人もいない。それだけマイナなのか、ただ縁がないだけか、いぐちの性格が原因かはわからない。漫画家、イラストレイタ、ミュージシャン、の方ばかり。みんな尊敬している。作品も拝見させていただいている。
 創作者同士での付き合う中で、いぐちは一つ持論を持って接している。それはどんなに好きな作品でも、どんなに親しい方でも、創作中の作品に関して意見、文句や注文を言わない。それが自分が作詞した曲や、文を書いた絵などでも、どんなに自分が関わってたとしても守っている、いぐちのルール(または、自分にだけ適応されるルール)だ。創作中にそれらのことを言うのは、その作品の創作者の感性を疑う・否定することだと、いぐちは思っているからだ。これは相手を一人の創作者として尊敬しているからこそ、守るべき持論だと思っている。
 でも、完成した作品には忌憚のない意見(主観)を言う。ただし、相手を見て出力は変えるが……。相手を見て態度を変えるが、座右の銘なのです。


2006年10月19日(木曜日)
「こんなにがんばってるのに、どうして楽にならないの!」「楽になるようにがんばれば?」
 
 昼休憩ごろの日差しは、なかなか写真になるものだった。でも、帰宅する頃にはもう、暗くなっていて、なかなか良い影が見つからない………いえ、決して影マニアとかフェチではありませんよ。って、誰に言い訳しているのでしょう?
 工作をちょこちょこと一時間ほどできました。小さな部品を切り抜く作業と接着。まだまだうまくできない。だから、うまくなれる余地はある。
 工作をしていて、習得できるものがある。一つは、心のコントロール。焦っては駄目だ、ここは落ち着いて、あわてないで、と自分に言い聞かせる。この感情をコントロールするのもまた、工作の醍醐味だと思う。………いえ、マゾヒストではありませんよ、たぶん。 
 ちなみにウインドウズPCを使っていると、叩き壊したくなるほどイライラさせられることがある。こっちは楽しくない。修行だ、とあきらめる。
 小説の執筆をする時間がなかなか稼げない。忙しい、恥ずかしいことだ。自分の能力が低いせいだから。
 新作の完成は来月になりそうだ。今、ちょっと峠まで登っているところ、ここを越えればあとは楽なのだが……。だんだん作品の完成までの時間が長くなっている。半年ほど前は三万文字ほどの短編なら一週間で、三ヶ月ほど前から同じ量の作品がひと月と、だんだん遅くなっている。………あ、はい、私の怠惰です。


 
 いつも日記に何を書こうか考えている。と、書いたら明らかに誇大表現だ。いつもではない。お風呂に入っている時に、ふと考えるか、キーボードを叩きながら考えるぐらい。今日もここにこんな話題を書こうと、風呂に入りながら考えたが、書こうとするときには忘れてしまった。そういった時の話って、おもしろいのにな……。忘れてしまったら、思いだそうとせずに、その場で考える。今のところ、この手法を使っている。固執しているわけではない、これより有効な手法があれば切り替える。
 いぐちは、移り気の激しい気質なのです。………いえ、浮気性という訳ではないですよ。
 だから誰に言い訳しているんだ?(>いぐち)

2006年10月20日(金曜日)
「男女の間で、本当に友情は成立しますか?」「友情を定義してください。それによります」
 
 昨日と比べると少し照度が低かったように思うが、過ごしやすい天気だった。これぐらいがちょうど良い。
 お昼頃に、近くの駅まで家族を送るために外出。なんでもディズニー関係の催しものがあるらしい。アイススケートみたいな……、詳しくはしらない。興味もない。
 帰宅してから読書。漫画を再読。小説は一度読み終えたら、読み返すことはまずないのだけど、漫画はかなり頻繁に読み返す。たぶん、読むときに頭の中で映像展開するから話を覚えてしまうのだろう、小説は。時間もかかるし……。でも、教科書を丸暗記しようとは一度も思わなかった。たぶん、好きと嫌いの差なのかもしれない。
 夜に友人S崎氏から「パソコンがぎゃぼー!」という電話があり、自宅へ向かった。どうやら「のだめカンタービレ」に心酔しているようだ。動画や画像を収集しすぎて、不要なファイルと一緒にシステムファイルまで知らずに消去したために、OSが起動しなくなったらしい。ちなみに四回目だ。そろそろ自分で直してほしい………いや、こんな自体を起こさないでほしい。
 お礼に夕食をいただいた。「ミレリーゲ・アラ・パンナコン・イ・ブロッコリ」という呪文料理を毒味しました。オイシュウゴザイマシタ。ちなみに、この料理は「のだめカンタービレ」で、千秋が作った料理だが、見た目は………。暴走はお控えに、妄想はお一人で。あ、これ今日の一言にすべきだったか。


 いぐちが今まで書き上げた小説の八割は「恋愛」に属する作品だと認識している。だが、いぐちは「恋愛」小説を一冊も読んだことがない(最後まで読めなかった)。それなのに、なぜ恋愛小説を書くか、それは単に書きやすかったから。意図して書いた覚えはない。書きたい作品ではない。「ミステリィ」「伝奇」というジャンルのものが本来は書きたい。
 先日、ある出版社の方とお話する機会があった。その席で、プロになると書きたいものがかけなくなる、という話を聞いた。 自分が書きたいものが書ける、好き勝手に書けるのはアマまで、プロは読者が求めるものを書かなければならないらしい。
 いぐちは、アマアマチュア。でも、プロになりたいと思っている。でも、書きたいものを好き勝手に書いている訳ではない。稚拙ながら読者(不特定多数)の人を意識して作品を書いている。それに、プロになると自分が書きたい物が書けなくなる、という状況に抵抗はない。それは小説家に限ったことではないと思うし、落胆したり嘆くような状況ではないと思う。自分が書きたい物が書けない、だから対価をもらっているのではないだろうか。それがプロだと思う。もちろん、自分が書きたい作品が、求められる作品なら良い状況だと思う。
 プロになりたい、小説を書くことを仕事にしたいとイグチは思っている。でもそれは、小説を書くのが好きだからではない。小説を書くことができるから、仕事にしたいからだ。
 就職なので、自分が楽しめる仕事を、好きなもの仕事にしたい、など「仕事」と「目的」を混合するような文句を見かける。きっと幼い頃に「将来、大きくなったら何になりたい?」という質問を「将来、大人になったらどんな仕事に就きたい?」と勘違いして答えたか、混合して質問されたからなのだろう。職業が、人生の目的になっているのだろうか……。だから、ずっと続ける仕事だから、自分の好きなもの、楽しめるものを選びたいと思ってしまうのだろうか、と考えるのは少々短絡的か。
 いぐちは仕事を、好みや楽しみ、などを選ぶ時に基準に入れない。仕事は、自分に出来るものにしたい。好きなものや楽しいことは、仕事ではなくて趣味になっている。
 趣味とは、つまり無駄なことだ。そして無駄なことが出来ることが、人間の高尚さだ。だって、人間以外に無駄だと理解して無駄なことをするモノって、いないでしょ?


2006年10月21日(土曜日)
「宇宙人は本当にいると思いますか?」「え、地球人だって宇宙人ですよ。大丈夫?」
 
 眩しいちょっと暑い天気だった。だが、朝は寒い。
 午前中に二時間ほど小説を執筆。3万文字程度で、30%ぐらい進捗。計画通りに終わりそうにない。内、一時間ほどショートショートを一作書いた。短編集形式で三万文字ほどの作品になる予定。内容はきわめて暗い。僕の本質に近いと予想。これはシリーズで、一作目を近いうちにアップしたい。
 昼頃、三時間ほど工作と掃除。段ボール機関車はもう少しで完成。それと長年放置されていた父の第一ガレージをちょっと掃除。ガレージというより、骨董品の物置。もっとも古いモノで慶応の品がある。ちなみに「籠車」(名称は不明確)です。
 夜に、来月に行われる地元の祭りを宮司の手伝いをするので、儀礼儀式などの作法の練習。講師は父。………信仰心ないのに宮司を継ぐのって何だか参拝に来られる方に失礼なような気がして、少し良心の呵責。ま、世襲制ではなく資格制なので、そんなには悩まない。継がないと決めたら、家と徹底的に縁を切るつもり。
 祭事の練習後、すぐに友人M岡氏の自宅へ。新曲を録音したCDをいただいた。ますます厚みを増し、クオリティが高くなっている。創作は、作るごとに高く上がっていく、階段をあがるように、それを実感した。
 深夜の二時頃、後輩二名を加えて、カラオケへ。なぜカラオケに行ったかというと、ノリ、だ。ノリだけで行動するなんて、若いな……。明け方の五時に帰宅した。



最近(の定義を一ヶ月以内として)、イラスト系のサイトを巡回している。そこで小さな身震いを感じるようなイラストを見かけることは百件回って一つみつかれば歓喜できるぐらいの確率。平均的に絵は整っているが、カメラワーク、構図などが似たり寄ったり。絵が上手い方のイラストは、カメラワーク、構図が斬新、新しさを感じる。これは持論だが、創作物のオリジナリティとは、新しさ、だと思う。この新しさを感じるセンサが鋭い方は例外なくプロになっているか、プロになるだろう。
 そういった方のイラストや小説などを鑑賞することであられるのは、インスピレーションはやや古いものか、新しいものだとしても、元の作品を超えられないだろう。第二世代は第一世代を容易に超えられない。でも、自分にとっては新しい位置へ跳べる可能性がある。読書などインプット作業の効果は、インスピレーションを得ることだと思う。
 なんだか生意気にも創作論を語っている。いぐちが最も得意な技は「自分を棚上げにする」ことだ。そして最も苦手な技は「自分を棚卸しする」ことです。

2006年10月22日(日曜日)
「どうすれば美味しい料理が作れますか?」「不味い料理を食べ続ければ良い」
 
 午前中は爽やかだったが、午後から徐々に曇り、夜には雨が降り出した。一日で晴れ曇り雨となんだかお得な天候だった。たまには良い。
 午前中に海外ドラマの「24」を観た。なかなか面白い演出だった。毎回の展開を作り出す方法は少し勉強になった。ドラマなどで演出として作り出される「問題」は、人間の鈍感さ、が生み出しているようだ。これは吉本新喜劇でも同様に使われている手法だと思う。ちなみに、吉本新喜劇は小学生の頃から好きだった。前半部分ぐらいしか、今はもう観ないが。
 午後から3時間ほど小説を執筆して三千文字ほど進んだ。遅い。ちょっとつらい登り道が続いている。ここさえ抜ければ…、という楽観的予測がつきまとう場面だ。
 工作も三時間ほど出来た。段ボール機関車は一応完成した。思ったより、上手くできていない。自分の不器用さを再認識できた。でも、まだ上手くなれる余地がある。そんな予感があるから楽しい。精進しよう。
 比較的のんびりとした休日。最近の試みとして「分割睡眠」を行っている。二時間ほど寝てから、作業をして、それから五時間ぐらい寝る、という方法。どんな効果があるか、まだまだわからないが、気分は良い。



 昨夜、二十歳前後の男が四人集まって、車中で「恋愛」について色々と話をした。ふりかえると、八割方聞き手に回っていたが、なんて浅慮なことを言ったものだと思うものばかり。
 「男女の間で友情は成立するか?」「友情から愛情に変わるには何が必要か?」「なんで彼女(あるいは彼氏)がほしいのか?」などのことを野郎共で半ば真面目に語り合った。これを青春と言うかどうかは、それぞれに任します。
 それらの問題にも、みんな各々持論、考え方があって、それを聞くのはなかなか面白い。いぐちも、それらに対して一つぐらいは回答は持っている。でも、それを口頭で伝えるのはどうも苦手。文章なら、伝えられそうなのだが。だから、書くのかもしれない。
 人それぞれ、目的ないし欲求があって彼女(彼氏)を探し求め、その関係を築く手法を「恋愛」と呼んでいるように思えた。これはサンプルが極少数なので有理ではないが。
 「なぜ人は恋愛をするのか」
 そろそろ恋愛系の小説に飽きてきた、飽き性のイグチは、その問いに対して回答を一つ考えて、今執筆中の小説のなかで書こうと思っている。シチュエーションは、一、二世紀後の世界。これを書いて、今年はもう恋愛系は書かないだろう。
 古今東西の賢者が「恋愛」について様々な言葉を残している。同じように「真理」についても多くの賢者が言葉を残しているが、それらの言葉はとてもかっこいい。「恋愛」についてはすべてではないが、皮肉めいたものが多い。対極的な位置にあるのかもしれない。どちらが高尚とか卑賤とかいう問題ではないが、どちらも魅力的な概念であるらしい。
 だが、当然のことながら「愛」はすべてを救う訳でもなければ、「愛」があれば何でも出来る訳でもない。ちなみに、いぐちは「愛」なんて言葉が大っ嫌いだ! もう!どいつもこいつも!
 ……疲れてるな。

2006年10月23日(月曜日)
「どうすれば夢が叶いますか」「夢が叶うように、行動すればいい。祈るだけは無理です」
 
 あれ、昨夜は雨が降ったのに……、と思うほど爽やかな天気だった。お昼頃の日差しは、なかなか綺麗だ。
 ちょっと寝過ぎたせいか、頭痛がしたが、コーヒーを飲みながら雑務を処理した。ほとんどはメールのリプライ。一日十件前後ほど返す。HPの訪問者からは一日一通ぐらいしかない。けど、9割ぐらいは好意的な意見がほとんど。思わず性善説を信じてしまいそうになる。
 最近、連絡がとれるようになった友人などから質問のメールがくる。最近の「本日の一言」が原因ではないだろう。どれも「えっと、自分で調べたらどうですか?」と返したくなるような「本当に知りたいの?」と思うようなものばかり。でも、ちゃんとリプライはします。相談ではないから、返答は簡単。
 どうも、いぐちに相談するのは良くない、と直感的に分かっているのでしょう。正しい判断だ。自分でも「親身になって相談する」ということが、いぐちには向かない。親身にならなくても返答できる質問ぐらいが、ちょうど良い。僕は誰かに「親身になって」相談を受けてほしいとは思わない。他人ならではの視点で意見が欲しいから。それに、他人に相談することすら十年近くない。
 他人に、今自分が「この問題」をどうすれば良いか、などと相談する。つまり他人に問題を説明できるほど、その問題を理解しているのなら、答えは自ずと出ているはず。相談するまでもない、あとは自分が出した答えが最善、正しいと「信じる」しかないのだから。
 他人に相談する人は、他人の意見を素直に鵜呑みに出来る人しか向かないだろう。天の邪鬼のいぐちには、相談を受けるもするも、どちらも向かない。頼りない、からというのもあるのだろう。



 二時間ほど工作が出来た。またこりずに段ボールで機関車を作ろうとしている。なるべく違う形、本物に近づけようとは思わずオモチャみたいなモノを作りたい。オリジナリティが出せるようになるには、「まだまだ」十乗根ぐらい未熟だ。
 今夜は小説を中断して、ドラマを観た。「のだめカンタービレ」だ。うーん、喜劇ですね。面白い。演技力にバラツキがありますが、のだめを演じている方(名前不明)は、色々とすごさを感じされられました。そして美術班の力も。出てくる小物が、こってますね。久しぶりに全話観ようと思いました。

2006年10月24日(火曜日)
「親」という生き物にはなりたくない。人間として生きて死にたい。
 
 寒さで起きた。庭にでたら水溜まりが出来ていた。どうやら夜中に降ったらしい。だから寒かったのかな、と思った。でも、この寒さを今後は目覚まし時計代わりに……とも思った。爽やかな天気だったが、風が強い。ラジコン飛行機を飛ばすには向かない天候だ。そろそろ資金をためて、ラジコン飛行機を始めたい。これは来年の目標。
 一時間ほど小説を書いた。三千文字ほどかいて、完成度は36%。峠を越えたから、少しは速度はあがりそう。だが、どこかに穴があるかもしれないから、気をつけないと。
 今まで五万文字ほど作品しか書いたことがない(編集で7万文字になったモノはある)から、今書いている「恋々連鎖のフィラメント」は10万文字になる予定で、どうも話の展開のバランスが掴み切れていない。だからちょっと辛いが、楽しい。
 工作を二時間ほど出来た。部品の継ぎ目を綺麗にする、のが現在の課題だが、パテをつかえば解決しそう。もう一つは、塗装。これが制作過程でもっとも難しい。どう塗るか、どれぐらいの塗料と使うか、筆はどれにするか、など試行錯誤の段階。塗装が上手くできなければ、それまでの作業が台無しになってしまう。塗装が、全体の9割を左右すると言っても過言ではないだろう。難しいく奥が深い。



 昨夜、深夜二時を過ぎた頃に電話がかかってきた。友人S崎氏からだった。半身夢に浸かっているような脳みそを横殴りするような勢いで「同人誌作る!」と報告された。どうやら友人などにこうして宣言して、覚悟を固めるという儀式をされていたらしい。
 眠かったこともあって「続きはメールでお願いします」と一言伝えて電話を切った。すると朝、メールが届いていた。
 どうやら、大学のサークル仲間の中の同士の中の絵描きによって、BL系の同人誌を作るらしい。ずいぶんとマニアックだ。
 「BL」と書いてあったが、いぐちは「LD]と読み間違えて、「発行ダイオードの漫画?」と解釈してしまった。だからマニアックといったのですが、「BL]が何の略称なのか分からず、尋ねたら「ボーイズラブ」らしい。これでも分からなかったからさらにたずねると「やよい」と言われて、やっと分かった。どちらにしても、マニアックだ。
 S崎氏から「短編を一作、ちゃちゃっと書いて寄贈して」と依頼された。もちろんジャンルは「BL」で、ということで。五分ほど考えて、OKを出した。もちろん無料。これぐらいのサービスは良いかなと思った。当然「作品を読んでから誌に載せるか決めて欲しい」と書いた。
 ちなみに、いぐちは「BL]小説は読んだことはない。だからなのか、近いうちに資料としてBL小説を持ってくるとS崎氏が言ったので、それは丁重にお断りした。「既存の作品とは違うものが出来るか、稚拙なモノができるか、お楽しみに」と理由で。もちろん、出来上がった作品はHPで公開しない。
 ついでに書いてみるとBLと同性愛は違うらしい。同性愛を扱った作品なら、今書いてるんだけどな……。マニアの方ほど、深い持論を持っているようだ。
 いぐちは、マニアを悪い印象では使いません。プロフェッショナルと同じぐらい良い印象を持っています。もちろん、マニアだからみんな素晴らしい人とは思っていない。誰がマニアなのかによる。
 

2006年10月25日(水曜日)
個人の私的な反社会的行為に対して、所属組織のトップが謝罪するのは変では?
 
 昨日よりは風がないが、まだラジコン飛行機には向かない天候。晴れてて爽やかなんだけどね。
 6時頃に起床。……寝違えた。肩と首の周辺が痛い。顔を左右に動かすと、動作が一瞬止まってしまう。これではよそ見運転が出来ないし、美女とすれ違っても振り返って見ることができない。
 夕方頃、ひさしぶりに夕食を摂ってから、工作を少しした。まだ塗装中の機関車があるが、新しい機関車の型抜きをした。これは浮気ではない。マルチタスク方式を採用しているのだ、と男女交際の場合にこんな言い訳をしたら、収まるものも問題が膨張して収まらないだろう。
 今夜は小説の執筆を中断。完成予定日が来月に押してしまったが、鬱ぎ込むほど気にはしない。締め切り(募集の)までに一ヶ月ぐらい余裕を予めとっているから、こうなることは想定内。想定外のことが起こったら、予想通り慌てるだろう。
 予定通りに仕事をせず、それを気にもしなかったら、責任のない奴、と言われそうだ。だがイグチは責任を持っている。以前勤めていた会社の上司からだって「君に責任がある」と言われて解雇されたのだから。
 小説の代わりに二時間ほど、読書をした。まだ京極夏彦氏の「魍魎の匣」を読んでいる。やっと京極堂が登場した。これからもっと楽しくなりそう。



 工作の秋ですね(いきなりだな!ってまたかよ!)
 一応趣味に模型工作と書いてあるが、日記には工作ネタは少ないように思う。だからたまには工作してるようなことを書いてみようと、つい魔が迫ってきて、すんなり刺されてみた。
 工作をしていると、接着系の材料のすごさをしみじみと感じる。覚えている限り、五歳ぐらいの時から工作をして、一人で遊んでいた。一人で遊ぶのが好きな子供だった。その頃は、ノリを使っていた。紙が簡単にくっついた時の感動は、今でも鮮明に覚えている。それぐらい当時の僕にとってはスゴイ道具だった。でも、ノリだとプラスティックや鉄が接着されにくく、ノリの限界を感じていると、今度はセロハンテープに出会った。これは接着というより、繋がる、というニュアンスが近かった。違う技術に出会って、感動した。
 それから小学生ぐらいまで、ノリとセロハンテープを両方つかって工作を楽しんでいたが、テープの場合、どうも継ぎ目が汚い。その問題を解決したのが、瞬間接着剤だった。これは「すごい!」と興奮した。紙やプラスティック、鉄だろうがすぐにくっついてしまう技術に感動した。
 今、接着に使うのは、接着剤。正確にはセメントだが、こうかくと、土木工事を連想される方もいるかもしれないが、欧米などでホビィに使うセメントというと「接着剤」のこと。だいたいアロンアルファ(液体系)とボンド(粘塑性体系)を使っている。でも、今後は庭に5インチゲージの鉄道を敷きたいと計画しているので、溶接にチャレンジしてみたい。これはかなり難易度が高いので、練習としてハンダゴテを時々使っている。
 ここで男女間を接着するのは「愛」だと書いてしまうのは、疲れているか憑かれている証拠かもしれない。
 

2006年10月26日(木曜日)
心ない事をする人ほど、人の心を分かっている。
 
 午前中は晴れ、午後から曇ってきました。写真を撮るには午前中の方が良いかもしれませんが、仕事が終わる頃にはもう暗い。それでも、なかなか良い物は見つかることもある。
 今使っているデジカメはSONYのCyber-shotでレンズカバーを下げるとすぐに撮影できるから、撮りたい時に迅速に撮れて便利だが、夜間撮影にはどうも向かないらしい。それとも自分の腕が未熟なせいかもしれない。
 デジカメによって、プロのカメラマンと素人との撮影技術の差はかなり縮まったと思う。素人でも、写真を綺麗に撮れる。それでも、やはりプロが撮った写真とは”何か”違う。何かしら力の差は、はっきりと写る。それはきっと「何を撮るか」がプロと素人との力の差だと感じる。あとは、良い写真と悪い写真の違いに対する敏感さ、かもしれない。これは写真に限ったことではないだろう。
 小説を千文字ほど書いた。なんだか日記の方が文字数が多い気がする。本当は小説の方を書きたいのだが、日記の方が書きやすい。映像展開していないからだろう。
 工作を二時間ほど。今、切り抜いた段ボールを組み合わせ、継ぎ目などをヤスリで削っている。この削りの作業は、なんだか修行のように感じる。修行をしたことはないが。削っている間は、無心なのだ。なにも考えていない、のかもしれない。



 先日、BL(ボーイズ。ラブ)の事を日記に書いた。すると、すごいメールが届いた。
 送り主は友人・S崎氏だった。しかもBL系イラストを10MBほど添付してだ。こっちはまだネット環境はISDNだというのに、暴力的な容量だ。こういう重い添付ファイルを送りつける輩を、暴送族と呼ぶことに決めた。そして、一言だけ文章が書いてあった。
 「ホモが好きなんだよ!何が悪い!!」
 えーっと……、別に悪いなんて一言も書いてないし、言った覚えはないのですがね(笑) どちらかと言えば、同性愛等を肯定までは言いませんが容認している方です。と、言うよりも、こちらに迷惑さえ及ばなければ、他人がどんな嗜好や性倒錯だとうがどうでもいい。人それぞれ、価値観があるでしょう。それを否定しようなんて、思わないし、軽はずみに否定してはいけない事だと思う。それは宗教なんかも同じだ。その人の思想や思考を良く知りもせずに否定しても、水掛け論か、双方不愉快な思いをするだけに終わりかねないし、それなりの覚悟をもたなければいけない。
 いぐちは覚悟もなければ、他人の価値観を否定してまで主張したい意見はない。それに、そこまで他人の事を知りたいとも思わない。
 そして、その価値観を構築されるまでのその人の思考や歴史も、尊重すべきだと思う。
 正しいか間違いか、と二極化できるほど人の単純ではないだろう。
 ちなみに、S崎氏にはこう書いて返信しました。
 「悪いって批判するのが好きなんだよ!何が悪い!」
 あぁ、また不毛な喧嘩が起こりそう……。
 

2006年10月27日(金曜日)
「あの人たちには、何の罪もないのに………どうして?」「罪があれば許容できたの?」
 
 一日中、晴れ渡っていた。雲の形といい日差しといい、視覚的には気持ちのいい天気だった。久しぶりに良い写真が撮れた。
 午前中は雑務を処理してから、ホームセンタへ買い物に。もっとも近いホームセンタまで車で二十分以上かかる。欲しいと思った時にすぐに買いに行けない、それが田舎に住むことの難点だ。これが災害や緊急事態の場合は、致命的な距離になりかねない。老いたらもう少し都会へ移ろう、と思いながら、紙ヤスリや塗料などを少しまとめ買い。ついでに卓上ボール盤や旋盤なども品定め。最近は一万円でそれらの機械が買えてしまう。良い世の中になったもんだ。家庭用溶接機だって買える。これには驚いたが、ちょっと小さくて不安。
 工作の先輩(父と中学の技術の先生)が言うには、こういう工作機は大きい物ほど安定している、らしい。本業の方が使われている機械は、家庭用にくらべてデカイ物を使うのは、そういう理由からか、とも思ってみた。
 先輩の意見は、その人が持つノウハウの塵のようなものだが、それでも拾ってみる価値はあるだろう、ときどき。これは嫌味でも馬鹿にしている訳ではない。むしろ尊敬している。長年かけて蓄積された職人のノウハウの中で、もっとも重要な物あるいは極意と云うべきものは、言語化できない、感覚的なモノ(センスに依るもの)だと思っている。言葉として伝えられるものなんて、些末な事だ。だから、弟子入りなどという制度がまだ残っているのだろう。
 いぐちの年代で、就職活動中(あるいは在学中)の方で「これから腕に技術をもたないとダメだ。資格がないと生き残れない」と技術職や資格取得を目指されている方がいる。割合としては、八割ぐらいかもしれない。
 確かに、技術や資格は習得することは時間や経済的な問題以外、マイナスではないと思うが、たとえ技術や資格を得たとして、上のようなセリフを信じ込み、諭すように語るような「古い感覚」では、生き残れないだろう。もう十何年も前から言われている言葉だ。僕が中学生だった頃(約十年前)には、聞き飽きて死語になりつつあったのだから。
 技術士、職人などに必要なセンスの一つは「新しさ」を察知する能力だと、僕は思っている。もしかしたら、この考えも、今ではもう古いのかもしれない。
 ただ憧れているだけなのかもしれない。
 百科事典のように沢山の知識を蓄積した人より、たった一つの技術を磨き上げた人の方が偉い、と思う。 偉い、ということにどれだけの価値があるかもまた、些末なことかもしれないが。



 なんだか最近、この日記に友人S崎氏が頻繁に登場している気がする。これはいぐちの交友範囲の狭さが原因の一つだと思うが、その考察は放置して……。
 S崎氏からやはり、というか(彼女の性格を考えれば)当然というか、喧嘩腰のメールが送られたきた。とてもHPに書けないような内容だった……。目測だが3千文字ぐらい、BLについて熱く語られていた(文字に温度はないが)。それでも足らないらしく、電話がかかってきた、脈絡なく同人業界について語られた。今、この日記を書いている間も、右耳は彼女の熱弁を受信している。
 ちょっとしたことで不毛な争いが起こる。きっと国家規模の戦争も、発端は些細な思い違いなどが多いのかもしれない。今回の件は自業自得だが、この教訓は生かそうと思う。
 
 

2006年10月28日(土曜日)
プロ野球が、シナリオ通りに演じられた催し物とは疑わないのだろうか。月へロケットを打ち上げるよりかは、簡単なはずだ。
 
 爽やかな天候が続いていますね。
 予定していた起床時間より三時間ほど寝坊。なんだか酸欠気味な意識をコーヒーを飲みながら、メールチェックなどをして回復させた。
 午後から四時間ほど読書。なかなか進まない。ちょっと疲れたので、合間に工作をして休憩(休憩なのか?)。
 夕方頃からは、ネットサーフィン。ブックマークしているサイトを巡回した。工作系とイラスト系がほとんど。小説系のサイトは少ない。あとリンク先のサイトへも。
 ちょっと昼寝も出来た。小説も一時間ほど書いた。なかなか優雅な休日。来週からちょっと忙しくなりそうな予報が出ている。占いではない。
 夜、友人S崎氏の自宅を訪問した。ここ数日のごたごたに決着をつけるためだ。と、いうほど緊迫もしていなければ喧嘩腰でもない。またしても怪しい呪文料理をいただいた、それぐらい緊張感がない。だが今夜だけでも五回は口喧嘩が起きた。原因は、会話がかみ合わないからだと推測している。
 これは僕の周囲だけで、しかも極少数の方をサンプルに採っているため有理ではない、とまず書いておく。
 B型の人との会話は、かみ合わない事が多い。脈絡がない。会話の途中で別の話題に切り替わる、あるいは会話が終わる。男性より女性の方にその傾向は強い。あくまでもイグチの経験上なので、一般的ではない。
 こういう方と会話をするのは、面白いが、こちらが何かを伝えたいと思っていると歯痒い思いをすることがある(らしい)。
 いぐちは、こういう会話が出来るのは、時にすごいと思う。論点をずらしたり、相手を煙に巻きたい時には、良い方法だと思う。もちろん、相手によるが。
 それに脈略のない会話を意図してするのは、いぐちには高度な技だった。何度か試した。まだ習得できていない。
 だから、B型のS崎氏とささいな食い違いで口論になる。まだ暴力でないだけ、友好的だが、その口論でさえ途中から人生論を語ったりされる。それが繰り返されると、なぜ口論になったのか、さえ忘れてしまう。ちなみに口論の原因は「カレーに入れるニンジンの適切な切り方は輪切りが角切りか?」である。



 今夜はひさしぶりにニュースなどを見た。他人の家でぐらいでしか見ない。まだイジメのことがニュースになっていた。一人の関係者に向けて、集団でマイクを向けたりするのは「いじめ」ではないのだろうか? どちらにしても下品な行為だ。あの行為こそ、子供に見せたくない番組ではないか? それとも「ああいう下品な事をしてはいけないよ」と見せて教えるべきなのでは? それともそういった事も学校で教えないといけないの? もうちょっと教員の待遇を良くしてあげても良いのに、給料安すぎるよね。すくなくとも、ニュース番組で「教育委員会はきちんと実態を調査して、いじめをなくさなければいけません」なんてコメントぐらいしかできないコメンテーターよりは、金を費やすべきでしょ。
 ところで、どのニュース番組も、報道されている限りの教育委員会などの組織のコメントを見ても、どうも「いじめ」の定義が不明確のようです。あれ、もしかして僕が知らないだけ? まぁ、「いじめの定義を求めよ」なんて言われた事がないので、いじめの定義は決めなくてもいいですけどね。
 ちなみに、いぐちは十年来「イジメは悪くない。問題はいじめ方だ」と思っている。未だこれに共感してくれている人は、私の周囲にはいないので、ちょっと嬉しい。これぐらいの事をテレビで言った方は、某ヨットクラブの所長さんぐらいしかしらない。それぐらい、少数派らしい。 とても嬉しいアーマノ・ジャック。

 

2006年10月29日(日曜日)
友情や愛情が美しいなら、どんな欲望も美しい
 
 微笑ましいほど晴れていました。夕日が綺麗でした。
 朝起きて、コーヒーを飲んで目を覚ましながら読書。昨夜、四時間ほど読んで中断したので、続きが気になっていた。
 昼から、祭りがあるので父の手伝いをしに神社へ向かった。十ヶ月ぶりに白衣と袴を着た。着付けはなかなか忘れないものだ。
 今年から初めて祭事の手伝いをした。といっても、祝詞をあげるのではなく、父の隣に座って、玉串を氏子の方に渡すぐらい。
 祭りには三十名くらいの方が参られていた。小学生低学年ぐらいの子供が半分ぐらいだろうか。あとはその親と高齢者の方。十代から二十代がごっそり抜けているような集団に見えた。なんだか人が集められたイベント、という印象を持った。意義のあるイベントには、人が集まってくるものだと思っている。なぜ、祭りが毎年行われるのか、疑問に思った。
 将来、もし宮司を就くことにでもなれば、事前に「私は祭りごとがキライです。なので、私が組織の一員となった暁には、祭りを廃止します。ついで、私が組織の長となったら、その組織を潰します」と宣言をしようと思う。ま、そう思うなら宮司に就かない賢明だと思う。
 あと十年たてば淘汰される、と思う行事が散見される。だが、それらは共通して「伝統」という記号によって守られている。その「伝統」という言葉だけで、自然淘汰を切り抜ける様は、まるで人間の力を見ているようだ。



 この日、京極夏彦氏の「魍魎の匣」を読了した。ひと月ぐらいかかった。終盤になり序章が寒気がするほど静かに鋭く襲いかかってくる。中盤辺りですでに犯人とトリックは分かっていたが、それに至るまでの推理が面白かった。なるほど、そう使うのか! とため息が出てしまった。
 読書中、さまざまな話、設定が思いつく。読書の価値は、インスピレーションを得ることだと思っている。これは小説だけではなくて、工学書や哲学書などを読んでいても同じだ。むしろ、小説を書こうと思えば、小説を沢山のむのではなくて他分野の物を沢山読んだ方がいいと思う。これは、読んだ小説を超えるものが書けない、第二世代は第一世代を超えられない、と思うからだ。もし素晴らしい小説があり、それを目標に小説を書いたとしても、目標に肉薄することはあって、目標を超える発想は、オリジナルからは得難い。
 これは当然例外がある。
 それは他分野からもたらされる発想、刺激だと思う。そえはきっと、無駄なものかもしれない。
 小説家になるためには沢山の本を読むことだ、と聞いたことがある。だが、沢山本を読んでいる人は、きっと小説なんて書く暇なく、本を読んでいるのかもしれない。読書が苦手な人が、あるいは、小説を書いているのかもしれない。少なくとも、いぐちはそうだ。プロではないが。

 

2006年10月30日(月曜日)
忙しさが理由として通用する仕事ほど、大したものではない。
 
 爽やかな天候ですが、朝晩はちょっと寒い。ので、ストーブを出した。朝はこれがないともう布団とも別れられない。
 7時に起きて、コーヒーを飲みながらHPの更新。外に出たら霧が出ていた。これから朝の風物詩みたいなものになるだろう。嬉しくはない。車を運転する身としては、危ない。
 夕方頃から小説を三時間ほど執筆して、4万6千文字まで進捗。まだ全体の半分ほど。向かうところ道なし! あと短編三話ぐらい書けば完成なのだが、ラストシーンはまだ見えない。今年中に出来るか不安になってきた。……がんばりましょう。
 工作もちょこっと、塗装をしました。こちらは今週中に完成しそう。だが、完成と言い切れるとは思えない。なんとなく形が出来上がった、ぐらいだろう。



 現在、諸々の事情により潜水モード。日記もちょっと簡単になっております。今後もちょくちょくありそうだが、日記だけは毎日続けたい、と思ってはみている。
 小説や日記の感想メールを三日に一通はいただいている。ありがとうございます。どんなに忙しくてもこれらにはきちんとリプライしている。それが礼儀だと思っている。多少、返信が遅れるかもしれないが
 

2006年10月31日(火曜日)
本当に有能な人は「暇」を強調し「忙しさ」を隠す
 
 いつもより睡眠時間は一時間短いのにスッキリとした目覚め。外に出ると霧が出ていた。寒い。これから雪が降るんだろうな…………その前に霜か、と思いながら車のエンジンをかけて、暖める。
 時々、朝に日記を書いてみたりしている。習慣をときどき崩してみたくなる、性格。どちらも長くは続かない。節操がないな、我ながら。
 昼頃、人と会う用が出来たので三十分ほど車で移動。待ち合わせ場所をある店の駐車場にしたのだが、どうもイグチは固有名詞を覚える能力が著しく低く、三回ほど場所を変更してやっと知っている店で待ち合わせる事になった。
 それから二時間ほど、仕事関係のお話。ちょっとした偶然に笑ったり、コーヒーを飲んだりしながら、和やかなムードで終わった。明日から職場が変わる。
 帰り際に、書店によったが目当ての本がまだ入荷していなかった。本日発売だからだろう。地方は一日二日は遅れてしまう。もう慣れた。
 夕方から一時間ほど小説を二千文字ほど書いた。のろのろ進行中。やっと話は山場に突入。だが峠はもう越えているから楽ちん。
 ところで、時代劇などで峠には茶屋があるが、そこではお茶以外に串団子とお饅頭しかないのだろうか。もし団子も饅頭も食べられない人にとっては、その茶屋こそ「峠」だろう。超えられない峠がそこにはある、か?



 以前、「働かざる者食うべからず」は下品で危険な言葉、だと書いた。すると色々と苦情やご意見のメールが届いた。どうやらこのHPを監視しているらしい友人数名からもメールが届いた。
 なにやら誤解を生んだらしい。これは小説を書く者としては、気をつけなければいけなかたと反省している。意味が通じない間違えより、誤解を生む間違えの方が危険だ。
 おっと、話が横道にそれた。
 「働かざる者食うべからず」が危険な言葉と書いたのは、それは仕事をすることはそんなに偉いことではない、と言いたかっただけだ。
 働く事と人間の尊厳とは、まったく関係がない。
 働く事を強要し、働かない者を卑下しているように、いぐちは思った。これは、親が子供に「テストで百点取ったら、ゲームをかってあげよう」と言っているのと同じだ。何か大切な事をすり替えてはいないだろうか。
 その諺と似たようなものがある。「一日なさずば、一日食わず」というものがある。似ているが意味は違う。たとえるなら「テストで百点を取れなかったので、ゲームはいりません」と子供が親に言うようなものだ。
 この違いが分かるだろうか? どちらが上品な姿勢でしょうか。個人の好みかもしれないが、奥ゆかしくはあると思う。
 どちらも人の姿勢について書かれていると思う。結果は似ているかもしれないが、それまでの人の姿勢が、まったく違う。どうせなら、後者でありたい。
  
 

 

 

 



●今月に戻る
Go Home

inserted by FC2 system