私的詩的四季私記(06/09)



終わりかけの9月が記念



2006年09月23日(土曜日)
 始めよければ寸止 めOK
 
 晴天です。
 人と会う予定でしたが、それをキャンセルして友人と買い物へ。友人宅へ帰って、のんびりと、創作活動。どうも集団での創作活動というのは向かないよう だ。全然進まなかった。
 帰宅して仮眠を取り、新作の長編を少し勧めた。まだ3000文字ほど。初めのうちはこのぐらいか。投稿用だからきちんとスケジュールを決めている。一日 5000文字進められたら順調だろう。これからスピードを上げよう。次回作の構想がフラッシュバックしてしかたない。同時進行を考えている。始めたの試み だから、面白そう。
 さて、こんなに感じで始まった日記だが、どうなるのだろうか……。素人の日記なんて一体だれが読むのだろうと、常々思っている(常々ではないが)。具体 的な個人の日常を書いても、誰に価値があるのか疑問だ。だからといって、具体的に「〜の店でこんなものを安く売っている」のような情報を書いてもしかたが ない。これは日記なのだから。情報提供サイトではない。もう少し、抽象的に書こうと思う。実行は難しいかもしれない。
 日記、と題を打っているが、毎日書けないだろう(いきなり弱音か!)。一週間に一度書けたらと計画している。この口調も少し、変えていこう。それを含め て、手探りの作業だ(範囲はキーボードぐらいだが)。
 もう少し、趣味などの活動について書こうと思ったが、それはおいおい(おいおい!それで良いのか)。
【次回予告】そろそろ、〜感謝の日とかやめたら? と呟きながら北へ行く。

2006年09月24日(日曜日)
大は小を隠す
 
  晴天ですね。休日ですがどこへも出かけず、自宅で工作をしてから執筆を。
 新作のタイトルが今一つフィットせず、どうもぐらぐらしてる感じ。航海モノならそれで良いのだが、そうではないから、もう少し考えよう。別の長編(こち らは恋愛小説の賞への投稿ようなのですが)、こちらのタイトルは『恋々連鎖のフィラメント』で決定。今日から書き始めます。二作同時(平行か?)作業は初 めての試み。どのようなデータがとれるか楽しみ。
 新たな試みで、もっとも楽しいのは、どんなデータが得られるか。始める前に「こうなるだろう」「こうすべきか」等とある程度は、想定する。これは繰り返 せば精度があがるが、始めの内は「そうか、こうなるのか」「その手があったか」と、色々と発見があり、その度に修正するのがなかなか面白い。そして、たま に「おっ、そうか、なるほど、敵ながらあっぱれ!」と想定外の失敗でも、嬉しく思うことがある。
 新しい試みは「もう遅い」と思わなければ、何時からだって出来る。定年を過ぎてからだって大学で学ぶ事もでっきるし、庭に線路を引いて豆列車で遊ぶこと だって恥ずかしくない(主観の問題だろう)。いぐち(私の事です)も、今はローマ字入力を使っていますが、いずれはかな入力に変更しようと思っています。 いずれ……、とっておきの手段は、まだ温存しておこう。

2006年09月25日(月曜日)
経験により複雑になり、習慣により単純になり、思考によって自由となる
 
 晴天ですね。これを良い天気と呼ぶには、まだ抵抗がある日陰者です。ですが、長袖一枚で活動できる気温 で、工作にはうってつけの季節となりました。一年中この季節が続いたら、と思います。いぐちは、常夏の島より常秋の島に移住したいと長年思っています。さ て、どこにあるだろうか?
 二年ほど前から新聞を読まなくなりました。どうも客観性が信用できない、嘘が多い、情報収集の方法として効率が悪い、などの理由で新聞は床に落ちている のをちらりと見る程度の存在になりました。同じように、テレビのニュース番組、情報娯楽番組は一切見ません。例えば、情報提供番組で、VTRなどを使って 情報を纏めて説明していますが、結局最後は一枚のフリップで纏めているのをよく見かけますが、初めからそのフリップを出せば? そうすれば一時間もいらん やろ、と思うのは私だけでしょうか? そもそも、顔が出過ぎですよね。ニュース番組に顔は必要か? 
 夕暮れ、写真を撮りました。人を写すことはありません。まだ、人を写せるほど人に興味がないからでしょう。でも、人がいなければ、素敵な孤独も寂しさも ないのです。もっとも孤独を感じるのは、寂れた田舎ではなく、人が溢れる都会。人は写したくない、でも、孤独はいつも人の隣にある、こういった矛盾を感じ るのも人間の尊厳かもしれません。

【次回予告】「この日記に意味はあるのですか」と尋ねられたら「あなたは、どんな意味があるのですか」と問い返し、脱兎の如くラットのように走り回る。

2006年09月26日(火曜日)
「昔の人の知恵は、偉大だ」「地球は平らだと言ったのも、昔の人だ」
 
 晴天ですね。面白みがないほど青い空です。いつまで続くのでしょうか、この天気は……、嫌いじゃないです けどね。たまに、雨が降って欲しいな、と思う。乾燥のせいかな?
 今年ぐらいから少女マンガを読み漁っている。十年近く『週刊少年ジャンプ』を読んでいたが年々、読める漫画が減ってきた。絵がもう見るに堪えない、とい うものが多い。一般論ではない、いぐちの主観だ。絵がダメ、読めない、というのは話が通じないのと同じことだろう。「うわぁ、これはすごいな」と思わず呟 いてしまう作品は、年に一作あるかないか、そんな楽観的予測のために、購読を止められないのかもしれない。
 つい最近、完結した『ハチミツとクローバー』を初めて読んだとき衝撃を受けた。なにがすごいって、絵が上手いッ。カメラワークも繊細で、ポエムも柔らか くほのかに甘い。きっと、これ以上の作品に出会えることは、そうそうあるものではない。奇蹟の出会い、と銘打つのも申し訳ないほど、秀逸だ。
 いぐちに絵心はない。つまり、中学時代の美術で漫画家になることをきっぱり諦めた。頭の中で展開している映像と、紙に描かれた絵の違いに、少年の夢は脆 くも崩れた。だから、絵が上手い人は、それだけで尊敬してします。小説家で尊敬している方は五人もいないが、漫画家・イラストレイターでは十人ぐらいはい る。……評価軸の違うから、比較することではないと思うが……。

「田舎で暮らすと、自然の素晴らしさ、大切さが分かります」最近、田舎暮らしを賛美するようなテレビ番組がよくありますね(いぐちは見ませんが)。老後は 田舎で自給自足で暮らしたい、とか聴きますが、老後は都会で暮らした方が明らかに便利だと思う。どちらが健康的とか言うつもりはない。ただ、自給自足では おそらく田畑を耕したりするのだろう、つまり重労働を、老後は挑戦しようと言っているようなものだ。それに(これは偏見かもしれないが)、歳をとると持病 が一つぐらいあるかもしれない、通院も必要になるだろう。そんなとき、片道三十分以上も車で通わなければならない場所に暮らすのは、緊急の場合でも、あき らかに安全側ではないだろう。
 都会の便利さこそ、老後には適しているかもしれない。コンビニも、一人暮らしの老人にはとても便利で、これがら需要がもっと高まる世代かもしれない。だ から若者向けよりも、年配向けのカップラーメンを作ってほしい(すこし食べてみたい)。
 それでも田舎暮らしに魅力があるかもしれない。ま、人ぞれぞれですね。どこに住むか、どんな暮らすをするか、どんな家に住むか、誰と暮らすか。人それぞ れ違うでしょうし、それが文化の豊かさでしょう。

写真は、裏庭で撮った彼岸花。彼岸花は縁起が悪いとされていますが、いぐちは、この花が、とても好きです。だから、なるべく見に行かないようにしている。 自然が好きな人は、自然には近づかないでしょう。分かるはずです、足下の小さな草花を踏みつけなければ、進めない、と。自然にふれあう事は少なからず、自 然破壊なのです。

2006年09月27日(水曜日)
後はノコあれ釘があれ (さぁ、日曜大工だ!)
 
 晴天ですね。いい加減、この書き出しにも飽きてきました。しかし、もう書いてしまった文を消去しないとい う、おかしなプロ精神で、このままに。代わりに、改めて書き出そう。
 28日です。7の倍数ですね。……ぐらいの変化に今日の所は勘弁してやろう(誰に言ってるの?)。7は好きな数字です。1から10中では、7が一番大き な素数。十進法では、そうですね。十二進になると11ですね。7は、世界中でも特別な数字のようですね。特別、というより、多様されている、でしょうか。 七色、七宝、七福神、ラッキーセブン、セブンイレブンに七味、マイルドセブン……あれ? なんか最後辺りは変だな…・…。一つ数が減って6になると、あま り縁起が良くないとされているようですね。でも6は、パーフェクトナンバなんですけどね(だからどうした)。たった一つ違うだけで、これだけ差別されるの も可愛そうな気がしないでもない。「六人目の恋人は悪魔だった、七人目の恋人は天使だった……」こんな感じで短編書いたら、面白そうではあるが。


 夕方、公園で一組にの親子がいた。どうやら自転車に乗るための練習をしているらしい(親が、ではないですよ)。そこで面白い会話が聞こえてきました。
 子供「どうして自転車は、止まってると倒れるのに、走ってる時は倒れないの?」
   親「それは、ジャイロ効果によって、走ってる時は倒れないんだ」
 そんな短い問答ですが、親の答えを聞いた子供は「ふぅ〜ん」と落胆したような呟きを残し、自転車に乗りました。なかなか賢いですね(親がじゃなくて、子 供がですよ)。似たようなものを、小学生の頃、いぐちも先生に質問した事があります。その時も、同じ様な解答で、「なんだ、先生も知らないんだ」と思いま した。質問した子供と答えた親は、「ジャイロ効果」という固有名詞を知っていかどうかの差、理解度は子供と同じ様なものでしょう。では、どう答えたら良 かったか。ジャイロ効果とは何か? どうしてジャイロ効果が起きるのか、それを説明すれば良かったのか? それでも子供が理解出来ないかもしれない(その 説明を覚えていればいずれ理解出来るかもしれないが)、答えの正解はないのかもしれない(意味が重複してないか?)。ちなみに、ヘリコプターが前進するの も、この自転車の件も、同じジャイロ効果なのですよ。
 以前、甥っ子に、庭に生えている花の名前を訊かれた。僕はその花の名前を知らなかった。
「一部の場所、一部の国でしか通じない名前より、この花が咲いている季節、花の形、色、匂いを覚えて、なぜ花は咲くのか、どうしてここに咲いているのか、 花にどんな意味があるのかを考えるほうが、ずっと大切だよ」
などの事を言って、誤魔化しました。大人は恥ずかしい。
写真の花の名前を知らない、いぐち。

2006年09月28日(木曜日)
「だんだん寒くなってきたね」「と、いうことはもう夏は終わったのですね」(消去法) 
 
 静かな朝でした。さすが田舎、朝は静かで夜うるさい(特に水辺は)。
 二時間ほど工作をしました。最近、段ボールで機関車模型を作るのにハマっています。どうも継ぎ目がまだ不細工ですね。まだまだ修行不足です。精進しま しょう、その前に木材か金属工作に移ってしまうでしょう。移り気のはげしい性格なのです、いぐちは。だから小学生の時、夏休みの宿題で絵日記がありました が、三日坊主どころか、一日で止めちゃいました。ええ、夏休みの初日に四十日分全部書いたのです。この時の想像力は豊かですが、予測力は未熟でした(今は どうだ?>いぐち)。
 昼頃。友人を車に乗せて買い物へ。同じデパートに行ったのですが、僕は書店と玩具店、友人は楽器店と洋服店へ。別行動をとって、食事の時だけ一緒に同じ 店に入りました。協調性がない人ですね(笑)。車で移動中、前の車に「赤ちゃんが乗っています」というステッカーが貼られていて、それを見た彼女が「何が 言いたいの? きちんと要求を言いなさいって!」と、淑やかに提案されました。なかなか的を射てますね(笑)。いぐちも負けじと色々提案してみました。 「赤ちゃんが乗っています。お静かに」とか「赤ちゃんが乗っています。衝撃を与えないでください」とか「赤ちゃんが乗っていますので、小さな子供の手が届 かない運転をしてください」とか「赤ちゃんが乗っています。出産祝い受付中」とか、嗜好を変えて「赤ちゃんが乗っていました…。3℃以下で保存してくだ さい」なんてのはどうかと訊くと、彼女は黙ってしまいました。ちょっと、巫山戯すぎました。ごめんなさい。


 時間がとれず進んでいない執筆。長編のタイトルは『もう、彼女しかいない』に決まり、プロローグを書き終え、一章に突入。まだ約9000文字(7%)ぐ らいです。もう一方の長編、こちらは短編連載形式で、まだ1%ほど。十月中には、どちらかが完成するでしょう。一方はSF的なミステリですが、もう片方は どっぷり恋愛。自分の中では最右翼と最左翼の作品を同時期に書くという、己の計画性を疑ってしまう状況です。まったく、誰が計画したんだか。たぶん、どち らか一方を後回しにするでしょう。臨機応変です、よね?
 写真は、いぐちのデスクトップです。机の上にはパソコンと玩具しかありません。本も筆記用具もないという、それでも小説を書く環境かと疑いたくなるよう な惨状です(笑)。これでもまだ片づいています。年末には飽和状態になるでしょう、おもちゃが。しかし、それはしかたありません(おっ、言い訳か?)。モ ノを創ると、どうしても周りは散らかってしまうものなのです。工場などルーチンとなっている環境でない、個人の工房(作業)環境では、作業の進行とともに 使い勝手の良く、散らかった環境になっていくのです。エントロピー増大の法則に支配されているのです。
 子供が夢中に遊んでいる時に、散らかったモノを片づけなさいッ、と怒ったりする大人にはなりたくないですね。………でも、片づけ欲しいと言う気持ちは、 ある。妬みや恨みを持つのはしかたない、でも、それを表に出すな、とお手本を見せましょう。

【次回予告】「ねぇ、ブログって何の略?」「長期保存するつもりがないデザインの、素人日記の事だよ」「じゃあ、長期保存するデザインの、作家の日記 は?」「それはエッセイだね」

2006年09月29日(金曜日)
問1 「ファンの声援が、僕達に力を与えてくれたから勝てました」 このエネルギー伝達の方法を説明せよ。
 
 日陰は涼しく、日向は暑い。晴天でした。午前六時の地獄起きです。人格が平時より八割増しで無愛想です。 どのぐらい無愛想かというと、平時の五分の一ほどの愛想しかありません。なので朝に人と会うのはなるべく避けているのです。メールなら、大丈夫。

 昨日、ネットで振り込みをしたら記入間違いがあり、それを訂正するために銀行へ。不便ですね。なんのためにネットバンクに加入しているのか。電子署名が もう少し普及すれば、こんな事はなくなるのでしょうかね。久しぶりに、手書きで氏名住所を書きました。住所の記入で、漢字を思い出すのに四秒ほど手が止 まってしまった。面倒だな、こういう事務手続きって、こんな機会が頻繁にあるならシャチハタでスタンプを作ろうかな、とも思った(出来るかどうか不明だ が)。
 ホームセンタで、塗料とサーフェイサを購入。買い物をしなくても店内を眺めながら歩くだけで、十分楽しい。まるで美術館のようだ。それなら、商品を購入 するのは、入場料と寄付金になるのか? うん、深く考えてはいけない。
 半年ほどある物を探している。中々手に入らない。自宅から半径100キロメートル内のリサイクルショップにも何度か足を運んだ(この表現は変だな)。今日も、リ サイクルショップに行って探したが無かった。もう半ば諦め、半ばますます購入意欲に燃えた。そんなことを昨日、友人S氏に話したら、なんと翌日にその物を 持って来てくれたのだ!
いぐち「ねぇ、それどこに売ってたの? 半年ぐらい散々探したんだけ ど」
友人S「大学の近くのおもちゃ屋にあったよ。15%オフで」
ひょうひょうと答えるS氏。さらに「色違いの、わたし持ってるし」と 追い打ち。一瞬、後光を見た。もちろん、買ってきていただいた物を、買い取りました。現在、その色違いの物を交渉中。実は、三種類あって、あと一種類がな い。三体揃ったら写真を撮ろうと思います。これで現在の探し物作業5%前進にしておこう。優先品は『ウミノクマのぬいぐるみ』と『ウンジャマ・ラミーのフィギア』です。ご報告お待ちしております。



 一般論を語るつもりはありません。そうでない人もいる、というの事は認識していますが、いぐちは、他人の過去の功績などにはさして興味はありません。な ので「成功者が語る、成功の軌跡」「私はこうして成功して」「億万長者の体験談」な んてものにも、関心はありません。ですが世の中には、こうした成功者と呼ばれる方が、自分の経験談を語る講演会やセミナがある。しかし、話をする方はそれ が仕事だからお金は得ることが出来るが、それを聴く方は何を得ようとしているのか、どうも分からない。もしかしたら、自分もそうすれば成功する、その人物 のようになれる、と期待しているのでしょうか。しかし、その人がその方法で成功したからと言って、その方法が万人に通用する、あるいは今も効果があるとは 限らない。その人の過去は、あくまでもその人だけの過去。誰にも適応される過去でも経験でもない。それに、成功者という言葉にも疑問がある。成功とは、ど んな評価軸で、誰が観測して、どんな定義で使われいるのか。仮に、壇上で喋っている間は成功者かもしれない、だが、一年後もそうだという保証はない。
「人生の成功者の生い立ちを聴くことは、これから成功しようと思ってるなら参考になる」とよく聞くが、本当に人生の成功者がいるなら、もう人生終えている はずだ。話なんて聞けない、イタコに頼みでもしなければ。そして、成功にどんな価値があるのか、どんな意味があるのか、どうして成功しなければならないの か、を考えるほうが話を聴くより大事ではないか。もし、その答えが見つかったのなら、もう成功者の話を聴く必要はなくなっているかもしれない。
 まだ小さな子供の時、僕はサッカー選手に憧れていた。カッコいいと、夢中になっていた。選手が、ボールを追いかけゴールを見据える視線と姿勢に、子供の 僕は憧れていた。決して、契約する時の選手の姿になんの魅力も持てなかった。もしその選手が、引退し酒を飲みながら過去を語られても、とても聴く気にはな れないだろう。きっと、一流のプレーヤーに憧れる子供たちは、その選手が契約更新の記者会見をしている姿より、プレーをしている姿、ボールを見据える、その魅力的な鋭い視線や姿勢に憧れているのではないか。バッターボックスに立つイチロー選手は、少なくともCMで見る姿より、格好いいと僕は思う。
 今より昔の方が良かった、なんて言うような未来にならない様に努力しよう。

2006年09月30日(土曜日)
「やる気がないのか!」「やる気があっても出来ない事があります。やるか、やらないか、それが問題なのでわ?」
 
【前回までののあらすじ】悪の大魔王から、五人のヒーローを倒せと命令された暗黒伯爵は「では、我が組織が雇っている全ての怪人を、一気に投入しましょう。念のために巨大化させれば、一日で決着はつきます」と提案すると、悪の大魔王は怒りました。「ダメだ! たった一日で決着がついては、スポンサーから文句がくる。それに君には一年分の契約金をすでに払っているのだ、一日で一年分の給料を取る気か!」それを聞いた暗黒伯爵は妥協案を提示しました。「ではじっくり一年かけて、怪人は一体ずつ。巨大化も、負ける寸前まで使わせません。それでいいですね」そうして、悪の組織と五人のヒーロー達の一年間の戦いが始まったのです。

 睡眠時間が平均より三時間ほど短かったせいでしょうか、朝陽が暴力的です。ええ、晴天です。朝は、垣根や庭の草刈り。電源コードがついた玩具みたいな草刈り機を使いました。草を刈る、というより、薙ぎ払うって感じですね。まだまだ本格ではない、アマチュアな草刈り機でしたが、使ったあとは、腕が痺れてしまいました。僕もまだまだ本格ではないようですね。
 夕方から家族は旅行へ。いぐちは自らお留守番。静かです。素晴らしい。こういう時、孤独を感じるのも、家族のおかげです。感謝感謝。孤独は大好きです。一人の食卓なんて、なんて贅沢なのでしょう(笑)。
 深夜。友人M氏の家へ、陣中見舞いに。M氏は音楽家志望(この辺りの事情は疎いです)で、二週間後に地元の催しもののステージにあがる予定で、緊張されております。緊張を煽りました(笑)。ファンの愛情表現の一つと理解していただければ、幸いです。色々と音楽のこと、HPの事で面白い話をしたのですが、どうもそういう話って、ここに書こうと思った時には忘れてしまう。つまり、ここに書かれているものは、それほど面白くもない残留物、ということなのでしょうか。……それはこの日記に限った事ではないと思うのですが。
 ネタ帳なんてありません。アイディアを書き留める習慣もない。小説のプロットを細かく決めて書き始めるなんて器用な事も出来ない。キーボードに向かって、打たないとネタが浮かんできません。だから常にスランプ。小説も、書いてる内は結末は自分でも分かりません、ミステリィだと犯人も分からない(笑)。だから、書いてる内は、どんな話になるのか楽しい。だから、小説を書くのでしょう。
 細かな設定やストーリィは書きていく内に考えますが、作品の輪郭はぼんやりと見える。きっとこんな雰囲気の話になる。この系統では一番面白いでしょう。こんな歌と色が似合う作品になる。そんな形がぼんやりと見える。設定もストーリィも考えていない内に、なぜそんな事が分かるのか? きっとこれはイグチ特有のことではないでしょう。



 ぼんやりとした認識、記憶から何かを推測する経験は、多くの人にもあるでしょう。あの道路標識の形をハッキリと思い出せないけど、その標識を見たら分かる。昔好きだった人の顔も、今ではぼんやりとしか思い出せない。歩道に書かれている記号は、絵画のように鮮明に描かれていないけど、それがどんな意味なのかは、だいたい伝わる。明確な数式は浮かばないけど、ここまでは危ない! とハンドルをきる。
 いぐちは、記憶という能力が著しく低い。一年間で覚えたクラスメイトの名前は五人程度(しかも、ひとクラス47人ほどだ)。固有名詞に対する記憶力はもう諦めている。そのぐらい記憶に自信はない。ほとんどが、ぼんやりとした記憶だ。でも、忘れてしまったのならその度に考える。その時は、ぼんやりと覚えている答えとは違う事を答えを考えようと思う。すると、寒気がする発想が生まれる予感に、ときどき出会える。答えを覚える事より、多くの式を……仮定を考えることの方が、とても自由であるように、今は思える。
負け惜しみかもしれない。でも、勝ち負けさえ忘れるほど、思考が高く跳ぶような感覚は、決して「答え」を覚えるだけは味わえないかもしれないだろう。思考の価値は、自由だと思う。自由になれるのは、記憶を思い出す時ではない、考えている時だ。

 



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